明治31(1898)年6月、進歩党と自由党の合同によって一大民党(憲政党)が形成されると、第3次伊藤内閣は総辞職。同月、第1次大隈内閣(大隈は首相兼外相)が成立しました。内務大臣には、板垣退助(1837〜1919)が就任し、陸・海軍大臣を除くほかは、憲政党員が閣僚となった最初の政党内閣でした。 いわゆる隈板内閣は、各省の次官、局長や府県知事に党員を採用しましたが、旧自由・進歩党員の対立などで、わずか4ヶ月で総辞職しました 。
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