明治3(1870)年、西園寺は、米国などを経由して、普仏戦争後のフランスに留学します。パリ・コミューンを見聞し、パリ大学などで学んだ西園寺は、フランスにそのままとどまり、自由思想の洗礼を受けます。 また、フランスで中江兆民(1847〜1901、東洋自由新聞主筆、衆議院議員を務める。自由民権論者)との交流を深めます。このことが、その後の西園寺の足跡に大きな影響を与えます。帰朝したのは、明治13(1880)年のことです 。
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