日本と清国との間の朝鮮の権益をめぐる紛争は、明治27(1894)年に両国の軍事的衝突となり、宣戦布告に至りました。(日清戦争)
日本は、戦いを有利なうちに進め、翌明治28(1895)年3月、清国全権李鴻章(清国の政治家。1823〜1901)との間で、日清休戦条約を調印し、翌4月に日清講和条約を締結します。(この講和条約は、下関市春帆楼で交渉が行われたことから、下関条約とよばれています。)
伊藤は、この間、内閣総理大臣として、大本営を広島に設置、臨時議会を広島で開催するなど政治を主導します。
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