明治25(1892)年7月に松方正義が辞職した後を受け、第2次伊藤内閣を組閣します。
明治27(1894)年4月、ロシア皇太子ニコライは、イギリスのビクトリア女王の孫にあたるドイツ人、アレクサンドラ・フェオドロウナ(ヘッセン・ダルムシュタット公女)と結婚。西公使(西徳二郎、外務大臣等を歴任、1847〜1912)から電報によって報告されています。
なお、この年、父アレクサンドル3世が死去し、ニコライはニコライ2世として、即位。帝政ロシア最後の皇帝となります。(在位1894〜1917)。ニコライ2世は皇太子時代の明治24(1891年)年に来日し、大津事件に遭遇しています。