明治14(1881)年10月、高まる民権運動に対応するため、明治23(1890)年に国会を開設する詔が出され、立憲政治への期待は急速に高まりました。政府は、明治15(1882)年3月、憲法の制度の取り調べのため、伊藤博文を欧州へ差し遣わすことを決定しています。この資料には、取り調べの事項が詳細に記載されており、伊藤の任務の重さがうかがえます。
伊藤は、ウイーンでオーストリアの公法学者シュタイン(1815〜1890)らの話を聞き、憲法制定の参考としました。ちなみに、西園寺公望もその随行として派遣されます。
大日本帝国憲法