明治4(1871)年11月、岩倉右大臣(1825〜1883)を特命全権大使とし、参議木戸孝允(1833〜1877)、大蔵卿大久保利通(1830〜1878)らとともに特命全権副使を命じられた伊藤博文は、まずアメリカに渡りました。このとき、当初の条約改正の予備交渉という方針を変更し、直ちに改正交渉にはいることに決定しました。
急遽、大久保と共に日本に一時帰国し、明治5(1872)年5月、条約改正を行う権限がある「国書御委任状」の下付を受け、再渡米することとなります。しかし、条約改正は失敗に終わり、この問題は、明治時代を通じての政府の重要課題となります。
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