伊藤博文は、幕末、高杉晋作(1839〜1867)らとともに、開国倒幕を唱えて維新に奔走。王政復古(慶応3(1867)年)後、幕府天領だった兵庫県の知事となります。明治元(1868)年、旧幕府や朝敵となった藩の領地は没収され、府や県が置かれました。
兵庫(現在の神戸)の地は、安政5カ国条約で開港が約束されていましたが、開港されたのは慶応3年12月7日です。(現在の暦で1868年1月1日)
本資料は、明治元(1868)年、米国商船の水夫が泥酔して、兵庫港の衛兵を負傷させたうえ、県庁に乱入した件を伊藤博文知事が処理した旨を記したものです。その後、伊藤知事は、この事件の処理をめぐり、米国領事館と談判を行ない、水夫の有罪判決を得ています。