明治10(1877)年2月、挙兵した西郷軍を征討するため、明治天皇とともに京都にいた有栖川宮熾仁親王が、征討総督に任命され、山県(陸軍卿)は、河村純義(1836〜1904、海軍卿等を歴任。)とともに、総督を補佐する参軍に任命されました。 山県は実質的に陸軍の軍事を統括し、同年9月の戦闘終結まで、官軍を指揮します。
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