変貌 −江戸から帝都そして首都へ−トップへ

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2. 町奉行を廃止し市政裁判所を設置

慶応4年(1868)4月11日、江戸城は「無血開城」されました。5月15日には、旧幕府を支持し上野の山に立てこもっていた彰義隊(しょうぎたい)が新政府軍に敗北しました。

5月19日、それまで江戸の取締りにあたってきた町奉行・寺社奉行・勘定奉行が廃止され、市政裁判所、寺社裁判所、民政裁判所が新たに設置されました。ただし、各裁判所の事務は、各奉行所に引続き執らせました。

なお、この間、閏4月27日に発せられた「政体書」により、太政官への権力集中、三権分立、官吏公選など、新政府の政治組織の基本原則が定められました。また、旧幕府直轄地のうち江戸・京都・大坂等が「府」、それ以外が「県」、さらに諸侯領地が「藩」とされました。江戸には「江戸府」が設置されました。

文久元年 朱引内図当時の東京
文久元年 朱引内図
  • 墨引
  • 朱引
社寺裁判所民政裁判所及ヒ市政裁判所ヲ江戸ニ置ク

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