第1問これは、大正14年(1925)に改正した衆議院議員選挙法です。この条文のに入る言葉は何でしょうか。

※第五條 ニシテノ者ハ選挙権ヲ有ス

第1問 解説大正14年(1925)の衆議院議員選挙法の改正、いわゆる普通選挙法の成立にあたって、有権者の条件から納税額が撤廃されたものの、性別は「男子」に限定されており、年齢も明治22年(1889)に制定された25歳以上から変更されませんでした。それでも、有権者数は改正前の4倍に増加しました。
大日本帝国憲法下では主権は天皇にあり、国民は「天皇に仕える民」つまり「臣民」とされていました。戦後昭和21年(1946)に公布された日本国憲法において、主権が国民にあることが明確になり、「臣民」は用いられなくなりました。

第2問これは、とある公文書です。Cの画像の赤い丸で囲まれた花押(かおう:サインのこと)は、誰のものでしょうか。

第2問 解説Aの画像に「大正十四年」、Bの画像に「衆議院議員選挙法」、Cの花押の上に内閣総理大臣と記載されていることから大正14年(1925)の普通選挙法成立時の内閣総理大臣、加藤高明の花押だとわかります。
花押とは名前の文字を図案化した署名(サイン)のことです。加藤高明の花押は左が「髙」の3~6画目から一部をとった「日」、右が「明」から一部をとった「月」で作成されています。

第3問これは、大正14年(1925)の普通選挙法成立と同じ年に公布された治安維持法です。この法律の説明として、適切なものはどれでしょうか。

第3問 解説「国体」とは天皇制、「私有財産制度」というのは資本主義体制を指しています。 政府は普通選挙法を公布する一方で、政府の方針と反する社会主義者などが政治に入り込んでくることを危惧し、治安維持法を制定しました。 背景には大正デモクラシーによる民主主義的・自由主義的な風潮や、ロシア革命によって社会主義運動が日本でも広まっていったことなどがあります。
問題の選択肢にあった「藩閥政府が批判を封じ込めるために、政治結社・集会を届出制にした」は集会条例、「自由民権運動家を都心から追放した」は保安条例、「反政府的な言論を封じるために、新聞や雑誌を取り締まった」は新聞紙条例で、どれも明治時代に自由民権運動に対して出された条例です。

第4問これは、普通選挙法成立の前年にあたる大正13年(1924)に作成された、海外での選挙人資格を調査した資料です。下記の資料より読み解ける情報について、当てはまらないものはどれでしょうか?
資料集コンテンツ「年齢に関する外国立法例」

第4問 解説「英吉利」(イギリス)の欄には「男子二一」「女子三◯」と記載されているので、当時男性と女性で選挙人の資格となる年齢が違っていることがわかります。民主主義の先進国であったイギリスでは1918年の改正で有権者の資格として財産による制限を撤廃し、女性にも選挙権が与えられることになりましたが、年齢は男性と異なっていました。 10年後の1928年の改正で女性も21歳以上となり、男女平等になりました。 一方、1925年の日本では25歳以上の男子にのみ選挙権が与えられおり、女性の選挙権は、イギリスの17年後、昭和20年(1945)まで叶いませんでした。

第5問これは明治22年(1889)に衆議院議員選挙法が公布された時の資料です。この当時は選挙人の資格として、『直接国税15円以上』を納める者と定められていました。当時の15円の価値として、一番近いものはどれでしょうか。

第5問 解説明治22年(1889)の15円の価値は、現在とは大きく異なっています。15円は当時の人々にとっては非常に高く、この納税額の条件を満たす人は総人口の1.1%しかいませんでした。 米の価格は明治22年で1石(150kg)6円ほどだったので、15円あれば米をおよそ350kgも買うことができました。 その他の価格として、例えば日本食の代表として庶民に愛されているもりそばは1杯1銭ほどで食べられました。鉄道は明治22年に東海道線の新橋-神戸間が開通し、20時間ほどで移動できるようになりました。この頃の東京-大阪間の鉄道運賃は3円56銭でした。

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