戦時平時ノ区分ハ実際戦ノ成立シタル日ヲ以テ戦時始期ト為ス
明治27年(1894)6月、朝鮮政府と農民軍の間で和睦が成立しましたが、その後も日清両国の軍隊は撤兵せず朝鮮国内に留まりました。日本は新たに、日清共同による朝鮮の改革を提案しますが、朝鮮と清はともに反対し、日清間の対立も深まりました。明治27年7月、日本軍は朝鮮王宮を占領する一方、朝鮮の豊島(プンド)沖で日清両国の海軍が衝突し、日清戦争がはじまりました。
本資料は、この戦争における戦時の始期をいつとするかに関する閣議決定です。明治27年7月23日の日本軍による朝鮮王宮占領事件や、同25日の豊島沖海戦について触れられています。清に対する宣戦布告は8月1日に行われましたが、豊島沖海戦があった7月25日を戦時の始期にするとしています。
1.資料に記されている「在京城日韓兵ノ衝突ハ七月二十三日ナリシ事実」とは、具体的にどのような出来事であったか、調べてみよう。
2.日清両軍が戦った豊島沖の位置を地図で確認してみよう。また、その他の日清戦争の主な戦場を調べ、どのような特徴があるかまとめてみよう。
本資料は、『公文類聚』に収録されたものです。『公文類聚』は、明治15年から昭和29年(1954)にわたる、4,061冊もの簿冊で構成される資料群です。明治15年から同18年までのものは『太政類典』を引き継いだ編集物で、明治19年以降のものは、内閣によって作成・収受された、主として法律および規則の原議書を収録したものです。
| 資料名 | 戦時平時ノ区分ハ実際戦ノ成立シタル日ヲ以テ戦時始期ト為ス |
|---|---|
| 請求番号 | 類00703100 |
| デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/1719641 |
戦時平時ノ区分ハ実際戦ノ成立シタル日ヲ以テ戦時始期ト為ス
法制局閣議第一六二号 九月三日
官房第二四一七号
戦時平時区分ノ件
今般対清国事件ニ付戦時平時ノ区分海軍ニ於テハ軍令ニ依リ各軍艦戦備ヲ為シ戦闘編隊ヲ以テ佐世保軍港ヲ出発セシ日即チ七月二十三日ヲ以テ戦時ノ始期トスルヲ至当ト存候得共重要ノ件ナルヲ以テ茲ニ閣議ヲ請フ
明治二十七年九月一日
海軍大臣伯爵西郷従道(印)
内閣総理大臣伯爵伊藤博文殿
海甲三五
明治二十七年九月六日
内閣総理大臣(花押) 法制局長官(花押)
外務大臣 大蔵大臣(花押) 海軍大臣(花押) 文部大臣(花押) 逓信大臣(花押)
内務大臣(花押) 陸軍大臣(花押) 司法大臣(花押) 農商務大臣(花押)
別紙海軍大臣請議戦時平時区分ノ件ヲ審査スルニ曩ニ陸軍大臣請議ニ対シ事実戦ノ成立シタル日ヲ戦時ノ始期トナスコトニ閣議決定セラレタリ然ルニ海軍大臣ハ軍令ニ依リ各軍艦戦備ヲ為シ戦闘編隊ヲ以テ佐世保軍港ヲ出発セシ日即チ七月二十三日ヲ以テ始期トセントスルモノナリ蓋シ各軍艦戦備ヲ為シ戦闘編隊ヲ成シタルハ則チ単ニ戦ノ準備タルニ過キサレハ之ヲ以テ戦端ノ開ケタルモノト謂フヘカラス果シテ然ラハ本件請議ハ右閣議決定ノ趣旨ニ抵触スルモノナリ但一方ニ於テ在京城日韓兵ノ衝突ハ七月二十三日ナリシ事実アリト雖此ノ日ヲ以戦時ノ始期ト定ムルノ不穏当ナルハ固ヨリ論ナシ今前顕閣議決定ノ趣旨ヲ稽フルニ七月二十五日豊島ノ海戦ハ即チ陸海軍ニ対シ戦時ノ始期トスルヲ至当トス仍テ左ノ通指令相成可然ト認ム
指 令 案
戦時平時区分ノ件ハ実際戦ノ成立シタル日即チ七月二十五日(豊島海戦ノ日)ヲ以テ戦時ノ始期ト為ス儀ト心得ヘシ
明治廿七年九月十日(印)
陸軍省ヘ通牒(印)
(以下略)




