1.特派全権公使伊藤博文ト清国全権大臣李鴻章トノ締約書告示ノ件 2.朝鮮国内乱ニ関シ兵員派遣ニ関スル方針ノ件
明治9年(1876)の日朝修好条規により開国した朝鮮をめぐって、東アジアの伝統的な国際秩序に基づき影響力を強めようとする清と、その排除をはかる日本は対立し、ともに朝鮮との関わりを深めていきました。明治17年(1884)、朝鮮で起きた政変により、日本と結び国内改革を進めようとした勢力が、清との関係を重視する勢力に敗れると、朝鮮における日本の影響力は大きく後退しました(甲申事変)。その後、日本は清に対抗するため、軍備の強化を行いました。
資料1は、甲申事変により緊張が高まった日本と清の間で、明治18年に締結した天津条約に関する記録です。条約では、朝鮮から両国の軍隊は撤兵すること、両国が朝鮮にそれぞれ派遣していた軍事顧問を中止すること、今後朝鮮に軍隊を派遣する場合は互いに事前通告することが取り決められました。
明治27年(1894)、朝鮮国内で圧政に反対する農民軍が蜂起し甲午農民戦争が起きると、朝鮮政府は清に鎮圧の協力を要請しました。清はこれに応じ軍隊を朝鮮に派遣し、天津条約の規定に基づく出兵の通知を日本に行うと、日本も対抗して朝鮮へ派兵しました。
資料2は、明治27年6月2日に閣議で軍隊派遣の方針を決めたときの記録です。この閣議の段階では、まだ清から正式な通知が届く前でしたが、朝鮮国内に居留する日本国民及び公使館の保護を理由として、直ちに軍隊を派遣する必要があると記されています。
資料1
資料2
1.天津条約では朝鮮に軍隊を派遣することについて、日本と清はどのような場合にどのような手続きを行うと取り決めているか、資料1を読み確認してみよう。
2.甲午農民戦争が起きた背景としては、どのようなことが考えられるか。当時の朝鮮国内の状況を調べてみよう。
3.資料2を読み、日本が軍隊を朝鮮に派遣するまでに、日本・朝鮮・清の各政府はそれぞれどのような対応をしたか、まとめてみよう。
4.この閣議決定の後、日本政府が朝鮮に派遣した陸軍部隊はどのくらいの規模であったか、調べてみよう。
資料1は、『公文録』という明治元年(1868)から明治18年(1885)までの、太政官が各省との間で授受した文書を、年次別・機関別に編纂した総冊数4,000冊を超える資料に収録されているものです。太政官は、近代内閣制度が成立する以前における明治政府の最高行政機関であり、各省が上申する業務の最終意思決定を行っていました。『公文録』は、平成10年(1998)、国の重要文化財に指定されています。
資料2は、『公文別録』という資料に収録されたものです。『公文別録』は、明治元年から昭和22年(1947)にかけて、政府の重要な機密事項や事件等の記録類を省庁別、年代別あるいは事件単位に編集したものです。
資料1
| 資料名 | 特派全権公使伊藤博文ト清国全権大臣李鴻章トノ締約書告示ノ件 |
|---|---|
| 請求番号 | 公03905100 |
| デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/3629239 |
資料2
| 資料名 | 朝鮮国内乱ニ関シ兵員派遣ニ関スル方針ノ件 |
|---|---|
| 請求番号 | 別00165100 |
| デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/636982 |
特派全権公使伊藤博文ト清国全権大臣李鴻章トノ締約書告示ノ件
(前略)
大日本国特派全権大使参議兼宮内卿勲一等伯爵 伊藤
大清国特派全権大臣太子太傅文華殿大学士北洋通商大臣兵部尚書直隸総督一等粛毅伯爵 李
各々奉スル所ノ
論旨ニ遵ヒ公同会議シ専条ヲ訂立シ以テ和誼ヲ敦クス有ル所ノ約款左ニ臚列ス
一 議定ス中国朝鮮ニ駐紮(1)スルノ兵ヲ撤シ日本国朝鮮ニ在リテ使館ヲ護衛スルノ兵弁ヲ撤ス画押蓋印ノ日ヨリ起リ四ヶ月ヲ以テ期トシ限内ニ各々数ヲ尽シテ撤回スルヲ行ヒ以テ両国滋端ノ虞アルコトヲ免ル中国ノ兵ハ馬山浦ヨリ撤去シ日本国ノ兵ハ仁川港ヨリ撤去ス
一 両国均シク允ス朝鮮国王ニ勧メ兵士ヲ教練シ以テ自ラ治安ヲ護スルニ足ラシム又朝鮮国王ニ由リ他ノ外国ノ武弁一人或ハ数人ヲ選僱シ委ヌルニ教演ノ事ヲ以テス嗣後日中両国均シク員ヲ派シ朝鮮ニ在リテ教練スルコト勿ラン
一 将来朝鮮国若シ変乱重大ノ事件アリテ日中両国或ハ一国兵ヲ派スルヲ要スルトキハ応ニ先ツ互ニ行文知照(2)スベシ其事定マルニ及テハ仍即チ撤回シ再タヒ留防セズ
大日本国明治十八年四月十八日
特派全権大使参議兼宮内卿勲一等伯爵伊藤博文 画押
大清国光緒十一年三月初四日
特派全権大臣太子太傅文華殿大学士北洋通商大臣兵部尚書直隸総督一等粛毅伯爵李鴻章 画押
(以下略)
(1)駐紮(ちゅうさつ):駐在すること。駐屯すること。
(2)行文知照:通知すること。
朝鮮国内乱ニ関シ兵員派遣ニ関スル方針ノ件
(印)
朝鮮国内乱ニ関シ兵員派遣ニ関スル方針
右御覧ニ供ス
明治二十七年六月六日
内閣総理大臣伯爵伊藤博文(花押)
局甲六七
明治二十七年六月二日
内閣総理大臣(花押) 内閣書記官長(花押)
外務大臣(花押) 大蔵大臣(花押) 海軍大臣(花押) 文部大臣(花押) 逓信大臣(花押)
内務大臣(花押) 陸軍大臣(花押) 司法大臣(花押) 農商務大臣(花押)
朝鮮国乱民内ニ起リ京城駐在公使館ヨリノ来電ニ拠ルニ官兵頻ニ敗レ乱民益々猖厥ヲ窮ムル(1)ノ勢アリト云将来乱民京城又ハ其他ノ日本人居留地ニ侵入スルコト無キヲ保チ難ク従テ公使館及国民ヲ保護スル為ニ兵員ヲ派遣スルノ必要アリ
天津条約第三款ニ依ルニ朝鮮国変乱又ハ重大事件アルニ当リ日支両国又ハ一国兵ヲ派スルトキハ行文知照スヘシトノ明文アリ故ニ出兵ニ当リ将来或ハ清国ト往復関係スヘキノ時機ヲ生スルモ料ルヘカラズト雖、今度ノ事ハ急速ノ事変ニ係リ我カ兵ヲ以テ我カ国民ヲ保護スルヲ怠ルヘカラザルカ為ニ清国ト聯合派兵スルヲ待タズ条約ノ明文ニ従ヒ行文知照シ直チニ出兵スルヲ適当トス
京城駐在公使館杉村書記官ヨリノ来電ニ依レハ朝鮮政府ハ已ニ応援ヲ清国ニ求メタリト云ヘリ清国ノ之ニ応シタルヤ否ヤハ未タ報知ヲ得ズト雖、将来清国モ其ノ兵員ヲ派遣シ両国ノ軍隊或ハ聯合ノ働ヲ為シ或ハ朝鮮政府ノ要求ニ由リ臨機ニ応援防護スルノ必要ヲ生スルモ亦料ルヘカラズ此レ亦予メ算画(2)ノ中ニ置カザルヘカラズ
今ハ更ニ詳報ヲ得ルヲ待タズ先ツ第一ニ公使館及国民ヲ保護スルノ必要ヲ主トシ、機先ニ後レザル為ニ及フダケ速ニ出兵ノ準備ヲ為スヘシ
(1)猖厥(しょうけつ:猖獗)ヲ窮(きわ)ムル:良くない物事が盛んになること。
(2)算画:計画。







