第十一回国会における吉田内閣総理大臣演説要旨
朝鮮戦争が始まると、アメリカは日本との講和に向けた動きをより早めました。昭和26年(1951)1月以降、対日講和の準備を担当したジョン・フォスター・ダレス特使と吉田茂内閣総理大臣の会談が重ねられ、単独講和と条約締結後のアメリカ軍駐留等を骨子とする方針がまとめられました。この間、日本国内では、全面講和と単独講和とで議論が交わされ、国会においても激しい論戦が繰り広げられていました。
本資料は、サンフランシスコ講和会議の開催を翌月に控えた昭和26年8月16日に、第11回臨時国会で行われた吉田首相の演説要旨です。講和会議に至る経緯や条約の内容及び講和後国際社会へ復帰する際の抱負が述べられています。
(※本資料の書下しは、現代仮名遣いで表記しています。)
1.演説の中で吉田首相はアメリカについて、講和に関する「交渉の主人役」と表現しています。ここから、当時の国際情勢についてどのようなことが読み取れるか、考えてみよう。
2.資料を読み、アメリカの対日講和方針の特徴をまとめてみよう。
3.講和会議への参加をめぐって、国内では全面講和と単独講和とで意見が分かれていました。それぞれの主張はどのような内容であったか、調べてみよう。
本資料は、『内閣総理大臣官房総務課資料』という資料群に収録されています。『内閣総理大臣官房総務課資料』は、内閣官房総務課の資料のうち、内閣官房総務課の歴代総務課長及び同課佐野理事官が在任中に作成又は取得した資料で構成されています。主として昭和初年から昭和20年代の資料を中心として整理編纂されています。
| 資料名 | 第十一回国会における吉田内閣総理大臣演説要旨 |
|---|---|
| 請求番号 | 資00392100 |
| デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/1629965 |
第十一回国会における吉田内閣総理大臣演説要旨
第十一臨時国会における
吉田内閣総理大臣演説要旨 (昭和二六、八、一六午後四時)
本日、ここに講和問題につき報告することを欣快とします。
一 昨秋九月十四日アメリカ合衆国政府が対日講和推進を公式に声明して以来約一年、米国政府の好意とダレス特使(1)努力の結果遂に九月四日サン・フランシスコで対日平和会議の平和条約の署名調印式がとり行われることになったのであります。
二 対日講和につき終始指導的な地位に立ったアメリカ合衆国政府は、昨秋の声明後対日平和の基礎原則を関係諸政府に通達して、意見を求めました。それは、十一月下旬公表されて、「対日平和七原則」として世に知られているものであります。これは、よう懲[膺懲](2)的な、監視的なものや、敗者に対する平和条約の観念に基かない将来に対する制限などをふくまぬもので、戦争の善後処理に必要な最小限度の規定にとどめると共に、全体として平等友好の協力関係を確立する性格の平和条約を作ろうとする思想をもって一貫するものであります。
〔三〕 合衆国政府は、「七原則」に対する関係諸政府の意見をしんしゃくして、これを条約案の形に作り上げるよう外交交渉をつづけました。その間、ダレス特使は二回日本に来訪し、日本政府及び朝野各界代表に対し意見を開陳する機会を与えられました。正確に申せば平和問題について日本は交渉の相手ではありません。交渉は、連合国の間に行われるものであります。日本は、この交渉の主人役ともいうべき合衆国政府の好意によって、意見を開陳する機会を与えられたのであります。しこうして、この立場の許す限り、自由にわれわれに意見ないし要請を開陳するの機会を与え、又、虚心坦懐にこれを聴取して、努めてわが希望を取り入れんとする態度を示されたのであります。
その結果、合衆国政府と日本政府の間に平和条約の構想及び平和条約成立後における日本の安全保障の構想について、相互の理解と意見の一致が広範囲にわたってできた次第は、当時特使及び政府の声明又はわたくしの国会報告で明らかにしたとおりであります。
四 ダレス使節団の帰米後においても、合衆国政府の条約案作成が進行するにつれ発生する諸問題についても、随時彼我の間に意見の交換が行われ、かようにして作成された条約案は、三月下旬に関係諸政府に通達され、二十七日政府も交付をうけたのであります。ここに至って、初めて、対日講和問題が、平和条約草案の形をなすに至ったのであります。この条約案は、ダレス特使より直接聴取した構想に近いものでありました。政府は、直ちに草案の研究に着手し、わが所見を遅滞なく開陳するの自由を与えられました。
五 四月連合国最高司令官の更迭(3)に関連して同月十六日ダレス特使は更に日本を訪問せられ、合衆国政府の対日平和推進の根本方針に毫も変化なきことを明らかにするとともに平和条約に関し日本政府として回答申すべき諸問題の研究を促がされたのであります。当時、ダレス特使は、先に英国政府からも条約案が提示されたこと、場合によりては渡英して協議する意ある旨をもらされました。
六 米英会談は、六月四日ないし十四日ロンドンで行われました。会談に参加したアリソン公使(4)は、パキスタン、インド、フィリピンを経由して、六月二十四日来着、同公使は、ロンドンにてでき上りたる米英合同案の大綱を説明し、合同案は、米国案に英国案を加味したものである。少し長くなったが、技術的には正確になったと述べ、又、英国政府が全体として経済問題に深い関心をもっておる趣を告げ、中国代表問題に関し米英両国案を調整するために多大の苦心が払われたことをいわれました。よってもって対日条約案成立に至る米英両国政府の首脳者の払われた努力と苦心とをよく了解し得た次第であります。
七 なお、英国政府が、漁業問題について深い関心の有することが明らかとなりましたため、本年二月のダレス特使への書簡と同様な声明を日本政府より更めて出すことにして平和条約には特別の制限を設けないことに話合がまとまり、日本政府は、七月十三日の閣議に諮った上、政府声明をだすに至った次第であります。
八 七月十三日、米英合同案は、公表されました。その前、政府は、条約案を受領し、これに対する政府の見解を先方に通じておきました。
九 サン・フランシスコ会議の正式招請状は、七月二十日接到しました。招請状には、条約草案が添付されておりました。同案は、七月十三日発表の草案に十八箇所ばかり形式的な修正を加えたものであります。招請状によると、この条約案に対する各国政府の意見をしんしゃくして八月十三日頃最終案を送付するとのことでありました。しかし関係諸政府から提出された意見の調整に時日を要したため、二日おくれて昨夕政府は最終案を受領しました。同案は今朝七時公表されたのであります。
一〇 この最終案は、七月二十日の草案に対して約八十箇所に及び修正又は追加を加えております。しかしこれらの修正又に追加の大部分は、形式的のもので条約の本質に触れるものではないのであります。
主なものを指摘しますと、
第一条に、連合国は日本の完全な主権を認める旨の一項が挿入された。元来之は米国案にあった条約で当然のことであるが、疑問の余地なからしめるための改正と思います。
(欄外書き込み省略)
一一 この条約草案は、「和解」の精神を基調とし、「非常に簡単」であります。ダレス特使のいうとおり、将来の日本を他の独立国と違った地位に置いたり、日本の主権を拘束したりする永続的制限を加えていない本当の意味の和解の条約であります。戦争の勝者がかかる原則を適用したごときことは、史上ないところであります。日本の戦争責任や無条件降伏の事実に触れることもなし、監視的な規定も設けない。日本の批准は、条約の効力発生の条件とされる。
日本は平等の地位において取扱われる。日本の将来の行動を束縛しない。日本に「信頼」をおいておるのであります。
もちろん、「和解と信頼」が条約全般の根柢をなす精神であるとはいえ、平和条約は、日本が敗戦国である事実を解消する訳にはゆかない。領土条項や経済条項など、ある場合に、「重荷」であり「苦痛」であると感ずるものがあるのを免れません。しかし、草案に盛られた内容は、一般的に過去の平和条約に較べて比類なく公正で、且つ、寛大であると断言してはばからないものであります。
条約文はきわめて簡潔であります。関係諸国との交渉の結果がもり込まれたので、最初の米国案にくらべると多少長くなっておりますが、前文とわずかに二十七条の本文からなり、外に議定書が一つ、宣言が二つあります。条約は、日本と戦争関係にある連合国がすべて署名する建前をとり、署名しない連合国あればこれとは将来同様の内容の二国間平和条約を結ぶという考え方であります。議定書は、戦争のある種の私法関係に及ぼす影響を調整する基準を定めたもので、之を希望する連合国と日本との間で署名することになっております。宣言の一つは戦前日本が参加していた諸般の国際条約の効力を承認し、平和条約の実施後日本がある種の国際条約に加入し又は国際機関に加盟する意思を明らかにするものであります。他の一つは、日本にある連合国戦死者の墳墓に関するものであります。ふたつとも日本政府の自発的宣言であります。条約の規定として解決することを避け、日本政府の自発的措置という方式で解決しようとするものであります。
(欄外書き込み省略)
(中略)
私は平和条約によって国際団体復帰の日の近きを喜ぶに当って更に覚悟を新たにして平和、民主日本の再建と共に世界の平和繁栄に一段と貢献するの国民の誠意を益々固むべきであると存ずるのであります。
我国の政治的独立は一応達成されようとしているのでありますが今后[今後]の経済的独立については尚一層の考慮と努力が必要であります。私は先ず日米経済協力を更に具体的に推進すると共に世界各国とあたうる限り友好的関係を樹立し有無相通ずるの方法により我国の経済を維持し併せて世界の繁栄に寄与せんと考えるのであります。政府はこれらの問題につき今后[今後]随時具体的方針を明かにする所存であります
しかし国際間には今尚お我に対し我国既往の事跡を辿って平和に対する我日本の再脅威を云々し又は我将来の経済競争の懸念の去らざるものあるを認めざるを得ないのであります。然し乍ら既に我は海外領土及其資源を失い明治維新以来の蓄積せる国富を戦争により蕩尽せる状況であって近時の軍備情勢に照らしても世界平和の再脅威たる条件を全く喪失せる現在に留意し、又国民が深く自由、平和、繁栄を冀求する現状を理解すれば政治的にも軍事的にも将又経済的にも我に対し疑惧の念の抱くのは全く無用なることを覚知するの日あるべきを信ずるのであります。
桑港(5)会議において調印される条約は今後批准に付国会の承認を求む事となるは御承知の通りでありますが、その際私は国会の圧倒的支持あることを期待して疑いませぬ。
公平且つ寛大なる平和条約を以て我日本を国際団体に復帰せしめんとする諸連合国の好意に応ずる為又此平和条約が日本国民の最大多数によりて受諾せられ遵奉せらるることを内外に宣明する為強力なる全権団を国会より派遣せられ度幸に議員諸君の御同意を希望して已みませぬ。
(1)ダレス特使:アメリカ合衆国国務長官顧問・対日講和担当であったジョン・フォスター・ダレス。
(2)膺懲:うちこらしめること。
(3)アリソン公使:アメリカ合衆国対日講和使節団随員であったジョン・ムーア・アリソン。
(4)連合国最高司令官の更迭:連合国軍最高司令官であったダグラス・マッカーサーが、昭和26年(1951)4月に解任されたことをさす。後任には、マシュー・リッジウェイが就いた。
(5)桑港:「サンフランシスコ」をさす。







