令和2年度第1回企画展「競い合う武士たち—武芸からスポーツへ—」誌上展示会 当館では6月16日から8月30日まで、日本の近代スポーツの前史ともいえる武芸にスポットを当てた企画展「競い合う武士たち―武芸からスポーツへ―」を開催しました。会場の雰囲気を味わっていただけるよう、その様子を誌面で紹介します。

 日本で古くから盛んに行われてきた武芸の一つである相撲。日本での相撲は、『日本書紀』に記述が残る「捔力すまい」が起源といわれています。『日本書紀』には、天覧の捔力で、野見宿称のみのすくね当麻蹴速たいまのけはやの脇腹を蹴り、骨を折って絶命させた場面が描かれています。互いに足技を繰り出す様子から、現代より荒々しい取組だったことがうかがえます。

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日本書紀

日本最初の勅撰歴史書。展示資料は、全30巻の内容を完備した『日本書紀』としては現存最古の写本。

令和元年度 全国公文書館長会議 展示資料のちょっとした裏話やユニークなエピソードを紹介し、展示がますます楽しくなる高橋調査員の展示解説。 そのほんの一部を展示順に沿ってご紹介します。

儀式と武芸

 武芸は「戦うための技術」ですが、同時に「神に祈る儀式」という側面も持っていました。特に、相撲や競馬くらべうまは、五穀豊穣の祈願などを目的として行われ、奈良・平安時代になると宮中の年中行事として制度化されます。『今昔物語集』には、永観2年(984)に宮中で行われた「相撲節会すまいのせちえ」の様子が記録されています。
 競馬は、現代の競馬けいばとは異なり、馬術の腕前や馬の善し悪しも含めて勝敗が決まる競技でした。平安時代になると貴族の邸宅でも遊びとして行われ、『源氏物語』には光源氏の邸宅で行われた競馬の描写があります。

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今昔物語集

平安時代の説話文学を集めた説話集。



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源氏物語

平安時代中期に成立した長編物語。展示資料は、承応3年(1654)に出版された絵入り本。

「笑えない」ほど壮絶な取組

 平安時代の相撲には、勝敗が決した後、手を叩いて負けた方を笑うという作法がありました。しかし、『今昔物語集』の相撲節会に登場する成村なりむら常世つねよの取組は、それができないほど壮絶を極めたと記されています。二人は相撲人の最高位「最手ほて」でしたが、この取組後に両者とも不遇の死を遂げ、以後、最手同士の取組は行われなくなりました。


道長と光源氏、競馬が共通点?

 平安時代の有力貴族・藤原道長は大の競馬好きで、邸宅で頻繁に競馬を行っていた記録が残っています。道長を光源氏のモデルとする説もありますから、『源氏物語』の競馬の描写は、道長の邸宅をモデルにしているのかもしれませんね。


 武士が政権を担う鎌倉時代になると、武芸は戦闘技術として重要視されるようになりました。鎌倉武士には馬を走らせながら弓を射る技術が求められ、鍛錬のために騎射三物きしゃみつものと呼ばれる「笠懸かさがけ」「犬追物いぬおうもの」「流鏑馬やぶさめ」が盛んに行われました。
 また、戦国の世が訪れると、新たな武芸も登場します。天文12年(1543)に伝来した鉄砲は、織田信長をはじめ多くの武将が、武器として実戦で用いるようになりました。兵法上の特殊技能である忍術が発展を始めたのも、室町時代のこと。江戸時代の忍術書『万川集海ばんせんしゅうかい』には、水上を移動するための水蜘蛛などの忍具が図入りで記されています。

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鉄炮書

鉄炮書

稲富流砲術の精神と砲術の実技などを記した書で、入唐して砲術を学んだ佐々木義国が稲富直時に与えた秘伝書。




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獲物の狙いどころ

上の写真は『鉄炮書』の挿絵です。鳥の体に付けられた赤い印は、弓矢や鉄砲でどこを狙えばよいかを表す印。鳥の関節や羽根の付け根といった急所を示していますが、遠くから当てるには、金メダル級の腕が必要かもしれませんね。



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万川集海

甲賀流忍術の総帥である藤林保武が、伊賀・甲賀の11人の忍者の術や 忍具を中心に、古今前例を加えて集大成した忍術書。

高難度の笠懸「小笠懸」

 笠懸の中でも難度が高いのが「小笠懸」。大人の膝下ほどの高さにある12~24cm四方の的に、至近距離で馬を走らせながら矢を当てる、という厳しい条件が課された競技でした。当時、矢も真っ直ぐ飛びにくい鏑矢を使っていたため、好成績を収めるには相当の技量が必要だったはずです。


本多忠勝、槍は苦手だった

 徳川四天王の一人で、槍の名手としても知られる本多忠勝ですが、『甲子夜話抄録』には、槍術が「下手」だったと記されています。しかし、修練を怠らなかったためか、実戦では本領を発揮したようです。


剣術も忍術も全て「兵法」のうち

 「兵法」と聞くと、戦場で大規模に兵を動かして戦に勝つ方法、というイメージがありますが、鎌倉時代から江戸時代ごろは、一対一で戦うための武術も全てひっくるめて「兵法」と呼んでいました。剣術、槍術、忍術なども含む汎用性の高い言葉だったのです。


将軍と旗本の武芸

 泰平の世が続き、江戸時代の武士たちは、次第に戦から遠ざかっていきます。「文武弓馬の道」を奨励していた武家諸法度の第1条も、5代将軍徳川綱吉の天和令からは「文武忠孝を励し」と改められました。
 一方、8代将軍に就任した吉宗は、武芸の再興・復興に尽力します。吉宗が特に力を入れていたのが、生類憐しょうるいあわれみの令を機に行われなくなった鷹狩の再興でした。『享保遠御成一件きょうほうとおおなりいっけん』には、吉宗による鷹狩の詳しい記録が残っています。さらに、古来の武芸に関する研究にも、自ら取り組みました。
 また、11代将軍家斉も武芸に長けていたと伝えられる将軍です。特に打毬が得意で、『家斉公御実記いえなりこうごじっき』には、その腕は「老練の者でも及ぶ者はいない」と記されています。

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享保遠御成一件

享保2~3年(1717~1718)に行われた8代将軍吉宗の鷹狩を記録した書。捕らえた鶴やばんの数の記載もある。




狩猟の羽織

歴代将軍の狩猟に関する記録集『大狩盛典たいしゅせいてん』には、狩猟に動員された役人が身に着けていた色鮮やかな図版が残されています。目を引くのは、一つとして同じものがないバラエティの豊かさ。大胆な配色に加え、花やマークをあしらったり、模様をアシンメトリーに配置したり、デザイン性の高さにも驚かされます。

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家斉公御実記

幕臣の新見正路が書いた11代将軍家斉の逸話をまとめた書。

鷹の性格も分かる? 飼育手引書

 鷹狩に欠かせない鷹には、飼育に関する手引書もありました。展示した『内本之次第』と『鷹養生之書』には、鷹の育て方や病気になった時にお灸を据える部位、瞳の模様から狩の向き不向きを見分ける方法など、さまざまな情報が記されています。

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鷹養生之書


吉宗が読み込んだ『小笠原礼書』

 吉宗は紅葉山文庫(幕府が江戸城内の紅葉山に設けた文庫)からさまざまな書物を出納(借り出し)していますが、中でも何度も出納した記録が残っているのが、武家の弓馬等の故事を伝える『小笠原礼書』です。


武芸上覧は出世のチャンス

 江戸時代には、将軍の前で幕臣が、剣術、柔術、槍術などの腕前を披露する「武芸上覧」が行われていました。武芸上覧で優秀な成績を収めることは、自分の名誉や家の功績になり、またとない出世のチャンスでもありました。


幕末 戦う武士、再び

 嘉永6年(1853)、黒船が来航すると、武士に再び武芸の腕が求められる時代が訪れます。幕府は、講武所を設置して武芸者を師範役に登用し、幕臣の武力を強化。武士の中には、西洋の武術を習おうとする者も現れました。しかし、多くの武士は長らく実戦から離れていたため、鎧の着方さえ分からない者が少なくありませんでした。

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擐甲図歌

擐甲図歌かんこうずか

享和2年(1802)に成立した、鎧を着ける手順を和歌と図解で丁寧に説明した“指南書”。著者は津山藩の兵学指南役・正木兵馬。


猫に教わる武芸の極意

 展示資料の中でもユニークなスタイルを取っているのが『猫之妙術』。猫と人間が対話しながら、武芸の精神面を分かりやすく解説した哲学書です。著者・佚斎樗山いっさいちょざんゆかりの千葉県野田市では、「猫の妙術杯剣道大会」が開かれています。


本当に1か月分ですか?

 新撰組の近藤勇の名前で、京都の公用方に出された「練兵入用ニ付合薬并雷管御下ケ渡奉願上候覚」は、毎月の鉄砲の教練に必要な合薬などの支給を依頼した文書です。合薬45貫45匁、雷管を5000箇も要求しているのですが、1カ月分にしては多すぎるような…。この依頼はあえなく却下されてしまったようです。


海外スポーツとのふれあい

 江戸時代、長崎の出島で暮らすオランダ人は、海外のスポーツに関する情報も日本にもたらしました。『紅毛雑話こうもうざつわ』には、出島の商館に住むオランダ人の余暇の楽しみとして、バドミントンに似たスポーツが紹介されています。右の画像は、シャトルに似た「ウーラング」と「ラケット」の図で、それぞれの素材、大きさ、使い方などが記されています。
 また、日米修好通商条約の批准書を交換するための使節団が残した『航米日録』には、アメリカから帰国する船の中で、水夫がフェンシングをしている様子を見物したことが書かれています。

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紅毛雑話

紅毛雑話

幕府奥医師の桂川甫周がオランダ人から聞き取った話を、実弟の森島中良がまとめた書。


「フとナ」で感じる幕末の面白さ

 他館の『航米日録』ではフェンシングを「フヱンシンクマールト」と記しているのですが、当館所蔵のものは、なぜか「ナヱンシンクマールト」。書き写す時に間違えたようです。こんなミスにも、外国語を日本語に受け入れていく幕末期ならではの面白さを感じます。





展示資料のひとつ「擐甲図歌」をモチーフとしたクリアファイル。鎧を着る18の手順が表裏で一覧できるようになっています。



クリアファイルは郵送販売でも購入できます。
※1部200円(税込)