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新憲法の制定

松本委員会憲法改正案とマッカ−サ−草案

2月4日、政府は松本委員会の憲法改正要綱を一応の政府試案として決定、7日に松本国務大臣から奏上、翌8日同要綱にその説明書2件を付して連合国総司令部に提出します。総司令部は、この改正案に現われている立案の根本趣旨を承認し得ないとして、2月13日の会談において、総司令部案(マッカ−サ−草案)を日本政府に手渡します。

この会談の後、松本国務大臣は再説明書を作成し再考を促しますが、結局、総司令部案に沿って新しい案を起草することとなります。2月22日に松本は吉田外相と共にホイットニ−民政局長と会見し、「右(総司令部案)の案の実現に付、直に研究に着手すべきことを約」し、総司令部案に従った日本案の作成に着手します。

マッカ−サ−が急きょ総司令部案の起草を命じ、それを日本政府に交付するという措置に出た背景には、2月26日から連合国の最高政策決定機関である極東委員会が活動を始め、憲法改正に関する総司令部の権限が一定の制約の下に置かれることが明らかになっていたという事情がありました。終戦後の日本は事実上米国の単独占領下にありましたが、連合国11か国の代表で構成される極東委員会が発足すると、対日占領管理方式が大きく変化することとなっていたのです。

  1. 会見記(松本国務大臣)昭和21年(1946)2月22日

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