16 戦災と復興計画

 終戦直後から、空襲で大きな被害を受けた各都市の復興が急がれました。政府は、昭和20年(1945)11月に戦災復興院を設置、同年12月30日に「戦災地復興計画基本方針」を決定し、戦災復興に着手しました。翌年9月には特別都市計画法が制定され、戦災都市に指定された全国115都市を対象に復興事業が進められることとなりました。基本方針では、復興計画の目標として、過大都市の抑制ならびに地方都市の振興を図るために、都市の能率、保健、防災を主眼とし「国民生活の向上と地方的美観の発揚はつようを企図する」ことが述べられています。土地利用計画としては、土地配分の計画的な決定、対象地域・地区の精密な指定及び専用制の高度化、公共施設の適正配置・移転を行うことが示され、街路・緑地・港湾などについての具体的な方針が示されました。例えば、街路について主要幹線は大都市では幅員ふくいん50メートル以上、中小都市では幅員36メートル以上とし、必要に応じて50〜100メートルの広幅員道路を設け、駅前広場を設けることや、緑地(公園、運動場、公園道路など)を市街地面積の一割以上とし、市街地外周に緑地帯を設けることなど、その内容は理想的で高水準なものでした。
 しかしその後、復興計画は変更・縮小を余儀なくされました。戦後復興期において国も地方も計画遂行のための予算確保が困難となり、また、戦災による資材・資金・人材の不足、GHQからの反対やドッジ・ラインによる緊縮財政の影響を受け、昭和24年度には土地区画整理区域を600平方キロメートルから280平方キロメートルへと大幅に縮小させるなどの基本計画の見直しが行われたのです。
 こうした計画の縮小は、各都市の復興計画に大きく影響することとなりました。仙台、前橋、名古屋、豊橋、姫路、広島、宇部、鹿児島など事業着手が比較的早かった都市は、当初計画をある程度実現することができましたが、東京都など、事業着手が遅れ、知事も都市計画にあまり熱心でなかったところは事業が大幅に縮小されることとなりました。全国各都市の戦災復興事業は昭和30年代にはほぼ完成しました。
 資料は、特別都市計画法が閣議決定された際の文書と、昭和30年の平和記念公園の計画図です。

戦災地復興計画基本方針
請求番号:類02950100

平和記念公園計画図
請求番号:昭53 建設34200050
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