明治5年(1872)2月6日、浜田県浜田町(現島根県浜田市)沖を震源とするM7.0〜7.2の地震が発生しました。死傷者約1100人に及ぶ大きな被害に対して、「窮民一時救助規則」に基づき政府から直接救助金が支払われました。資料は、地震被害について浜田県から大蔵省へ届け出た際の文書です。被災者には窮民一時救助規則第1条に基づき「極難ノ者」へ15日間の「食糧焚出」などが行われました。