

教育刷新委員会・総会速記録(第1~2回)
日本の学校教育を調査する米国使節団(第一次)の受入れにあたって協力した日本側教育家委員会を母体とし、昭和21年(1946)8月、戦後の教育改革について検討を行う教育刷新委員会が、内閣総理大臣直属の機関として設置されました。
本資料は、同委員会の第1回及び第2回の総会の速記録です。ここで取り上げるのは、第1回総会において内閣総理大臣吉田茂の代理で出席した、国務大臣の幣原喜重郎(1872~1951)による冒頭あいさつです。戦後の焼け跡から日本が再出発する中で、教育改革こそが優先課題であるとする幣原大臣の考えが語られています。
1. 幣原大臣は、「敗戦を招いた原因は(中略)教育の誤りに因るものと申さなければなりませぬ」と述べている。これまでの教育の何をどのように改めるべきであると考えたのだろう。
2. 戦後の改革において、なぜ「国政の優先的努力」を教育問題にむける必要があるのか、自分の意見をまとめてみよう。
3. 「教育」と「戦争」のかかわりについて、自分の意見をまとめてみよう。
資料名 | 教育刷新委員会・総会速記録(第1~2回)・(昭21.9) |
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請求番号 | 平2文部01297100 |
デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/1520472 |
教育刷新委員会・総会速記録(第1~2回)
〇幣原国務大臣(吉田内閣総理大臣の代理)* 本日は教育刷新委員会第一回総会を開催せられるに当たりまして、吉田首相は、自ら出席致して御挨拶を申上げる心組で居られたのでありますが、昨日来少しく健康を害して居られまして、今少し静養する方が宜しかろうという医者の戒めもありましたので、私から首相に代わって挨拶をするようにということであったのであります。それで甚だ僭越ながら私から一言申上げます。
各位はいずれも御多忙の折から本会の委員をお引受けくださいまして、殊に本日は残暑のなお激しい折から、かくも御来集くださいましたことは、まずくれぐれも御礼を申上げなければなりませぬ。
我々はこのたび、戦いに敗れて現に満身創痍といういたましい姿であるのであります。しかも我が国民生活の逼迫は、これからして後もなお一層深刻を加えることがあっても減ずることは今後数年間には期待せられないのであります。誠にこれが今日の現状であります。
顧みれば、我々の先輩は八十年前に国内情勢の至大なる危機に際会せられ、勇気と果断とをもってその国難の打開に尽力せられ、見事に明治維新の大業に翼賛せられたのであります。我々は今や内外両方面ともに非常な危機に際会いたして居るのでありまして、幕末の当初よりも更に幾倍の悪条件の下に、更に意味の深い第二次の維新というものをなし遂ぐべき必要に迫られて居るのであります。我が国運の前途は誠に多難であります。また、我が国民に課せられたる負担は頗る重大でありますけれども、この際挙国結束を固くし、我が民族最善の伝統と恥じない意気込みをもって、目下我々に残されて居る唯一の正しい道筋を邁進致しまするならば、我々は今日の禍いを転じて明日の福となすことが出来るということは、私の固く信ずる所であります。
我々のこの目標とする昭和の維新というものは、国政の全面にわたって改革を行うことを前提とするものでありまするが、その最も根本的な問題は、教育の刷新であります。今回の敗戦を招いた原因は、煎じ詰めますならば、要するに教育の誤りに因るものと申さなければなりませぬ。従来の形式的な教育、帝国主義、極端な愛国主義の形式というものは、将来の日本を負担する若い人、これを養成するゆえんではありませぬ。これでは、今後の重責を負担する人間は出て参りませぬ。我々は過去の誤った理念を一擲し、真理と人格と平和とを尊重すべき教育を、教育本然の面目を発揮しなければならぬと考えます。
かかる見地より、教育の制度、内容、方法その他の運営の全般にわたりまして徹底的な検討を加え、教育国策を樹立致し、着々かつ急速にこれを実行に移すことが何よりも肝要であると考えます。これ、すなわち本委員会を内閣に設けて国政の優先的努力をこの教育問題に結集するゆえんであります。
政府は委員各位に全幅の信頼を置きまして、委員会の成果に深い期待をかけて居るのであります。我々は今や満目荒寥たる焼跡の中より清新なる、溌剌たる新日本を建設するに当たりまして、教育の特に重要なる性質を有して居るのに顧みまして、この委員会の事業が皆様の御努力によりまして、その所期の成功を収められまするよう、我々は偏に希って居るのであります。つきましては、どうか皆さまのご協力を偏に私から首相に変わりましてお願いを申上げる次第であります。
原文は「〇吉田内閣総理大臣(代理幣原国務大臣)」。