

汽車運転時限并賃金表上達
明治5年(1872)9月2日付で、鉄道建設を担当する工部省から太政官(正院)に上申された文書の一部です。同月10日に開業する汽車の運行時刻表と賃金表を、「大形」と「小形」の二種類、提出する、という内容のもので、ここに挙げた資料は、このうち「大形」と称されるものと思われます。時刻と賃金(運賃・料金)のほかに、乗車にあたっての注意事項などが記載されています。このような時刻に基づく運行は現代の私たちにはごく当たり前のことですが、明治政府が、太陽暦と一日を均しく24時間に分ける定時法の採用を布告したのは、新橋―横浜間の鉄道開通の2か月後にあたる11月のことでした。
- 1.当時の新橋-横浜(現在の「桜木町」)の所要時間と現在の所要時間を比べてみよう。
- 2.当時の貨幣価値を調べ、この賃金表の運賃・料金の設定が、どのようなものだったのか、考えてみよう。
- 3.当時の乗車にあたっての注意事項について、現在との類似点、相違点を書き出してみよう。
さらなる探究のために
・時刻の表し方について、今と同じ点、違う点は何だろう。
・「時刻に基づく運行」が、社会に与えた影響を考えてみよう。
本資料は、『公文録』という明治元年から明治18年までの、太政官が各省との間で授受した文書を、年次別・機関別に編纂した総冊数4,000冊を超える資料に収録されているものです。太政官は、近代内閣制度が成立する以前における明治政府の最高行政機関であり、各省が上申する業務の最終意思決定を行っていました。『公文録』は、平成10年(1998)、国の重要文化財に指定されています。
資料名 | 汽車運転時限并賃金表上達 |
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請求番号 | 公00681100 (件名番号:021) |
デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/3048323 |
参考:国立国会図書館「鉄道が変えたコト・モノ」 第1章 時間感覚
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/32/2.html
汽車運転時限并賃金表上達
(表内は省略)
小児四才までは無賃、十二才までは半賃金、小包、胴乱(1)の類は無賃。その余、目方三十斤(2)までは二十五銭、三十斤以上六十斤までは五十銭。その中間のステーションはいずれもその半賃銭。もっとも一人六十斤までに限る。
九月十日より旅客の列車、この表に示す時刻の発着にて日々東京横浜各(ステイション)の間を往復す。
乗車せんと欲する者は遅くともこの表示の時刻より十分前に(ステイション)に来たり、切手買い入れその他の手都合をなすべし。
ただし、発車並びに着車とも、必ずこの表示の時刻を違わざるようには請合がたけれども、なるべくだけ遅滞無きよう取り行うべし。
手形は、その日限り乗車一度の用たるべし。
小児四歳までは無賃、その余、十二歳までは半賃銭の事。
旅客は総じて鉄道規則に随い旅行すべし。
手形検査の節は手形を出し、改めを受け、また手形取集めの節はこれを渡すべし。
旅客自ら携う小包みどうらんの類は無賃なれども、もし損失あらば自ら負うべし。その余の手廻り荷物は東京横浜の間、目方三十斤までは二十五銭、三十斤以上六十斤までは五十銭を払い、その中間の(ステイション)は、いずれも、その半賃銭を払い、荷物掛へ引渡し、請取証書を求め置くべし。
もっとも一人につき、目方六十斤までを限りとす。
手廻り荷物は総じて姓名かまたは目印を記すべし。
旅客中、乗車を得ると得ざるは、車内に場所の有無によるべし。
犬一匹に付き東京横浜の間、賃銭二十五銭、その中間の(ステイション)はいずれもその半賃銭を払うべし。しかし旅客車に戴するを許さず。犬箱あるいは車長の車にて運送すべし。もっとも首輪・首綱・口綱を備えて相渡すべし。
発車時限を惰らざるため、時限の三分前に(ステイション)の戸を為さすべし。
吸烟車のほかは、烟草を許さず。
(1)胴乱:小型のかばんのこと。
(2)斤:重さを図る単位。1斤は、約600グラム。