

建築技長英人ルイツチルドビルカスボイル雇入
鉄道建設における、「お雇い外国人」との契約に関わる資料です。欧米の技術の導入が欠かせなかった鉄道建設にあたっては、多くのお雇い外国人が活躍しました。新橋―横浜間の工事を設計したのは、イギリスの植民地で様々な実績があったエドモンド・モレル(1840~1871)でしたが、彼は工事が始まって間もなく、病気で亡くなってしまいます。後任としてイギリスから招へいされたのが、この資料に登場する、土木技師のリチャード・ボイル(1822~1908)でした。資料より、ボイルは、明治政府と親密な関係をもっていたイギリスの植民地銀行、オリエンタルバンクの推薦を受けた技師であること、明治5年(1872)6月に工部省が雇入れについて太政官に上申し、同年9月24日に来日したこと等が見えます。
1.お雇い外国人、リチャード・ボイルの経歴を調べてみよう。
2.リチャード・ボイルの契約内容を書き出してみよう。ボイルの契約額は、現在の金額にするとどのぐらいになるかを調べてみよう。
使えるツール:https://www.nationalarchives.gov.uk/currency-converter/
さらなる探究のために
・リチャード・ボイルの報酬を、明治政府の官員の俸給と比べてみよう。また、ボイルはなぜこのような額で雇われたのか、考えてみよう。
(参考)単行書・太政官沿革志十五「経費及官員俸給類年表」「24コマ目」
(https://www.digital.archives.go.jp/img/2414273)
この資料が収録されるのは、『太政類典』という資料です。慶応3年(1867)から明治14年までの太政官日記及び日誌、公文録などから、先例や法令等を選んで浄書したもので、制度、官制、官規、儀制等の19部門に分類し、年代順に編集されています。
資料名 | 建築技長英人ルイツチルドビルカスボイル雇入 |
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請求番号 | 太00295100 (件名番号:002) |
デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/1388190 |
建築技長英人ルイツチルドビルカスボイル雇入
六月十三日
鉄道寮建築技長英人ルイツチルドビルカスボイル氏を雇入れ
工部省伺
鉄道寮御雇・鉄道建築技長モレス儀、去る秋、病死致しそうろう以後、在来の助長二名の内、技長の事務委任致すべきのところ、その職業不明の者にては得失、相決しがたくそうろう間、かねて英国に於いて鉄道建築相談役の者へ打合せに及びそうろうところ、右技長の儀はその業術格別精熟、実功を経そうろう者にこれ無くては委任致しがたくそうろう間、十分その任に堪えそうろう者、更に御雇い相成りそうろう方、然るべき旨、申し出づ。尚、鉄道用達オリエンタルバンク社(1)中よりも同様に申し出そうろう。且つ右建築も追々盛大に相成そうろうに付きては、旁ら前条を以て技長の任に堪えそうろう者一名、まず三ヶ年間御雇入れ相成そうろう様仕りたく、もっとも月給その他の費用は当省定額金(2)中より取り賄い申すべくそうろう。これに依り、この段相伺い申しそうろうなり。〈六月十二日、大蔵省へ達欠工部〉
伺の通り〈六月十三日〉
工部省届
先般伺い済相成りそうろう、故鉄道兼電信建築首長モレル氏後役英国に於いて選挙致しそうろう。ルイヅチルド・ビルカス・ボイル〔注:リチャード・ヴィカーズ・ボイル Richard Vicars Boyle〕氏、本月二十四日横浜まで来着致しそうろう趣、申し出そうろう間、この段御届に及びそうろうなり〈九月二十九日〉
追って同氏定約の期は去る洋暦(3)八月三十一日より向こう五ヶ年にこれ有りそうらえども、模様により各方よりの望みを以て三ヶ年にて退職相叶うべきの儀に御座そうろう。かつ月給の割合は初年二千四百ポンド、第二年二千七百ポンド、第三年、第四年、第五年は三千ポンドと相定めそうろう間、この段も申し上げ置きそうろうなり。
(1)オリエンタルバンク:19世紀のイギリス領インドにあった植民地銀行。
(2)定額金:その年の予算のこと。
(3)洋暦:グレゴリオ暦。明治5年の改暦の布告まで、日本では太陰太陽暦が使われていた。