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解説
書下し
資料名

鉄道製造ニ付高輪町兵部省用地ヲ引渡伺

解説

この資料は、鉄道線路の敷設工事において、行政機関の間で発生した問題を記録するものです。 鉄道建設よりも軍備を整えることを主張した一人が、時の陸軍大将、西郷隆盛(1828~1877)でした。資料からは、明治3年(1870)6月8日、鉄道建設を担当していた大蔵省(当時は民部省と合併)は、高輪町の兵部省用地を線路敷設のために引き渡すことを兵部省に対して要請しますが、西郷の意向を受けたと思われる兵部省は、同年6月10日、引渡しを拒否しています。資料からは、その後一か月を経た7月10日、兵部省から東京府を経て民部省へ、という手続きで用地の引き渡しが決定されたものの、7月24日、兵部省は再び引き渡しを延期するよう要請したことが記されています。大蔵省や兵部省が、太政官(弁官)を通じてやり取りをしており、当時の行政における意思決定の流れが見える資料となっています。
鉄道建設は、この資料に見られる出来事をきっかけに、高輪の兵部省用地を通るルートをあきらめ、田町―品川の海上に「高輪築堤」と呼ばれた土手を作り、そこに敷設されることになります。

こんな「問い」はいかが

1.弁官は太政官の役職です。「太政官」とはどんな役割を持っていた機関なのか、調べてみよう。
2.兵部省、大蔵省、民部省について、それぞれどんな役割を持っていた機関なのか、調べてみよう。
3.「東京府」とはどんな行政機関だったのだろうか。現在の「東京都」と比較してみよう。
4.文書の日付、差出人、宛先から、やり取りの流れを整理してみよう。

資料情報

本資料は、『公文録』という明治元年から明治18年までの、太政官が各省との間で授受した文書を、年次別・機関別に編纂した総冊数4,000冊を超える資料に収録されているものです。太政官は、近代内閣制度が成立する以前における明治政府の最高行政機関であり、各省が上申する業務の最終意思決定を行っていました。

資料名 鉄道製造ニ付高輪町兵部省用地ヲ引渡伺
請求番号 公00341100 (件名番号:007)
デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/item/2341787
資料名

鉄道製造ニ付高輪町兵部省用地ヲ引渡伺

(1)
鉄道製造に付き、高輪町兵部省用地の内、別紙図面朱囲の分、御用地として至急当省へ引渡しそうろう様、同省へ御達し相成りたく、もっとも両三日中、測量取掛らせそうろう筈に付き、それ以前に引渡し相済みそうろう様、御取計い下されたくそうろうなり。
 庚午六月八日 大蔵省
 弁官御中

右、結局、指令これ無きに付き、大蔵工部両省ヘ問合せそうろうところ、相分からざる旨、回答これ有り。

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(2)
鉄道製造に付き、別紙の通り大蔵省より申出そうろう間、至急同省へ御掛け合い、引き渡し方、御取計らいこれ有るべし。依りて別紙相添え、此の段、御達し申し入れそうろうなり。
 庚午六月九日 弁官  兵部省御中

 追って別紙御返却これ有るべくそうろうなり。

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(3)
鉄道製造に付き、別紙の通り大蔵省より申し出仕りそうろう趣にて図面通り引渡しそうろう様、御申し越しの趣、承知仕りそうろう。しかるところ、右鉄道製造の儀に付ては当省より建言仕り置きそうろう次第もこれ有りそうろうところ、未だ何の御沙汰もござなくそうろう間、御差図までのところ、当省に於いても極めて必用の場所柄に付き、引き渡し難くそうろう。此の旨、御報せ申し進めそうろうなり。
 庚午六月十日 兵部省
 弁官御中
 追て別紙図面とも御返却申し上げそうろうなり。

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(4)
別紙の写しの通り、御沙汰相成りそうろう間、宜く御打合せこれ有るべく、この段、御達し申し入れそうろうなり。
 庚午七月十日 弁官
 民部省御中

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(5)
写し 
    兵部省
高輪富士艦(1)宿陣所(2)、御用に付き、東京府へ引き渡すべき事
 庚午七月  太政官
 ――
       東京府
高輪富士艦宿陣所、御用に付き、兵部省より請け取り、民部省に引き渡すべき事
 庚午七月 太政官

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(6)
       兵部省
高輪富士艦宿陣所、御用に付き、東京府へ引き渡すべき事
 庚午七月  太政官

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(7)
        東京府
高輪富士艦宿陣所、御用に付き、兵部省より請け取り、民部省に引き渡すべき事
 庚午七月 太政官

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(8)
富士艦宿陣所の儀、御用在らせられそうろう旨、御沙汰成らせそうろうに付き、転移の場所差付け吟味罷りありそうろう。しかるところ、今日東京府より別紙写しの通り催促申し来たり、右、書面の趣にては、やはり車道御用地と相成りそうろう趣、此の儀に付きては、過日再び建議たてまつりそうろう次第にござそうろうに付き、何れとも御廟決のうえ、御明示在らせられそうろうまで、品川内手車道取建ての儀は民部省に於いて見合わせ相成りそうろう様これ有りたく、就いては右、宿陣所、東京府へ引渡しそうろう儀、当分御猶予成下され、その段、同府へ御沙汰成らせられたく、旁ら懇願たてまつりそうろう。此の段、至急申し進めそうろうなり。
 庚午七月廿四日 兵部省 
  弁官御中

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(9)
民部省、大蔵省は、今より省を分かつこと、 仰せ付けられそうろう条、この旨、相達しそうろう事。
 庚午七月十日 太政官

【注】

(1)富士艦:正式艦名は「富士山(ふじやま)艦」。慶応4年(1868)に幕府から新政府に引き渡された軍艦で、明治4年(1871)年以降、海軍兵学校の練習艦となっていた。
(2)宿陣所:軍隊などの宿営地のこと。