

東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立
明治政府による最初の鉄道事業となる、新橋―横浜間の鉄道建設のはじまりについての資料です。文書は、外務省による鉄道建設についての、明治2年(1869)10月11日付の「上申」と、「布告案」で構成されています。文書の宛先である「弁官」は、太政官で庶務をつかさどった事務官のことです。文書の終わりには、明治政府が同年11月9日付で、伊達宗城(民部卿兼大蔵卿)・大隈重信(大蔵大輔)・伊藤博文(大蔵大丞・大蔵少輔)に対し、イギリスと鉄道敷設の借款契約を締結する全権を委任したことが見えます。
- 1.外務省の建議から、鉄道建設の利点として書かれていることをまとめてみよう。
- 2.外務省の建議から、なぜ新橋―横浜間から建設に着手することを提案しているか、書かれていることをまとめてみよう。
さらなる探究のために
・なぜ外務省が鉄道建設の伺いを出しているのか、考えてみよう。
探究のヒント:
- ・不平等条約
- ・外務省規則 第一条(https://www.digital.archives.go.jp/img/1378604)
- ・老川慶喜『日本鉄道史 幕末・明治編』「第1章 鉄道時代の到来―ペリー来航から廟議決定へ」(中公新書、2014年)
本資料は、『公文録』という明治元年から明治18年までの、太政官が各省との間で授受した文書を、年次別・機関別に編纂した総冊数4,000冊を超える資料に収録されているものです。太政官は、近代内閣制度が成立する以前における明治政府の最高行政機関であり、各省が上申する業務の最終意思決定を行っていました。『公文録』は、平成10年(1998)、国の重要文化財に指定されています。
資料名 | 東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立 |
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請求番号 | 公00076100 (件名番号:019) |
デジタルアーカイブ | https://www.digital.archives.go.jp/item/2352451 |
東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立
蒸気車の儀は、近来西洋各国、専ら流行にて、国内の河海船運不便の国々並びに瞬刻時限を惜しみ往来致しそうろう事柄には、必用の器械にこれ有る由のところ、御国にては未だその器械並びに車道ともこれ無く、容易に取り開き難き物の由、さりながら追っては是非とも東京より西京大坂の間、または東京より陸羽(1)辺の間まで、車道取り開きたくさそうらえば、数百里の陸程、ついに一昼夜の間にて循環往復致し、御国、方今米穀その他の物品、欠乏、騰貴の患いを救い、融通平均致しそうろうは、もちろん、広漠不毛の原野、開墾の利潤を起こしそうろう儀にて、別けて非常に緩急の節、戒厳出兵ともに迅速に相整え、富強の為、武備肝要のものに相聞こえそうろう間、一日も速やかに、相開きたき儀にそうらえども、器械の広大なる、並びに鉄道嶄開の入費莫大にて、新規に一朝夕に整えかねそうろう。追って遠路まで連続いたしそうろう発起の見本として、差し向かい東京より横浜の間は、土地平坦にて河も少なく、初発の業には功成り易く、田畝を廃し、直路を開きそうろうとも、終の廃地にて高千石までには及び申すまじく、且つ汽車、荷物車を買上げ、鉄道土木の費まで凡そ金五十万両余りもこれ有りそうらわば、粗く出来致すべきやにこれ有り、右入費出方の儀は、現今横浜・神奈川の海岸埋立て入用金、二十万両余りの高すら横浜商人共に出金致しそうろうほどの儀に付き、なお蒸気車の儀も御布告相成りそうらわば、後来の利金を目的に出金致し、鉄道を仕掛けそうろう志願の者もこれ有る様子に承り、及んで敢えて政府御出費に成るべからず、その功、成就仕るべきやと存ぜられそうろう間、さそうらえば、前書の廃地の分は車道の税にて十分埋め方仕り、出来致すべし。もちろん横浜と東京の間は海路搬運自在にて、汽車相備えそうろうとも、無用にこれ有るべしとの議論もこれあるべくそうらえども、横浜の繁昌は一日は一日より相増し、東京とは声息相通じ、商法の掛け引き・呼吸に至りそうらいては寸刻の時間を争いそうろう儀に付き、車道相開きそうらえば、この隣一町内も同様に相成り、老幼婦女に至るまで安楽に往来致し、貿易益々盛大に相成るべく、さりとて従来の輿丁、馬夫、舟子、駅店等は繁昌の余沢に浴し、やはり相当の作業これ有るべく、且つさしあたり右の大業、経営につきては、東京付近の貧民共ばかり多く使用を受け、生計の活路相開き申すべくさそうらえば、自然に民俗に習染致し、前文国々へ取り掛かりそうろう手順にも立ち到るべしと存じそうろう間、差し向かい右の一儀、御評決の上、早々に御布告相成りそうろう様仕りたく、これより別紙の御布告案一通、相添え差出し申しそうろう。以上
十月十一日 外務省
弁官御中
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御布告案
蒸気車の儀は、海外各国にてもっぱら流行の趣に相聞き、国地河海運送不便の場所へ仕懸けそうらえば、旅人の往復、物産の取引に至るまで、便利を極め、一昼夜の間に数百里の道程周回致しそうろう要器の由に付き、 皇国においても東京より大坂・西京の間、又は奥羽三越より山陰・山陽・西海の諸道まで仕掛けそうろう様、成られたしとの 御廟算(2)にはそうらえども、さしあたり御用途多の御時節、未だその場合に至らせかねそうろう間、 皇国の御為筋を心がけ、有力の輩申し合わせ、右の大業企起こしそうろう者これ有るにおいては、里数の儀はいささかの場所たりとも御許容の上、銘々身分御引き立ての儀はもちろん、右車道につきそうろう利潤は、相当の分割をもって、下賜すべくそうろう間、報恩有志の者は道筋見立て巨細書面を以ってその主人または支配筋へ願い出すべくそうろう。もっとも右様の大事、目論見そうろうに付ては道筋の田畑、宿駅(3)等迷惑相成らざる様の御仕方もこれ有りそうろう間、右に付き、彼是故障の筋申し立てそうろうとも、小さき利害は御聞き届けこれ無く、その大業御助成くださるべくそうろう条、その筋においても御趣意、厚く相心得、企望の者これ有る次第、申立らるべくそうろう事。
右、御沙汰しそうろう条、よりて申達しそうろう事
月日
己巳十一月九日 官中日記摘録
大隈大蔵大輔
伊藤大蔵大丞
鉄路製作決定につき、英国より金銀借入れ方、条約取結びの全権の御委任を、 仰せ付けられそうろう事。
十一月
伊達民部卿
鉄路製作決定につき、英国より金銀借入れ方、条約取結びの全権の御委任を、 仰せ付けられそうろう事
十一月
(1) 陸羽:陸奥国と出羽国を合わせた地域で、現在の東北地方。
(2) 御廟算:政府(太政官)の考え
(3) 宿駅:街道において宿泊や運送などの役割を担った施設がある町場。