昌平坂学問所
昌平坂学問所は、寛永7年(1630)に林羅山が上野忍岡に書院を開いたことに始まります。元禄4年(1691)に湯島の地に移り、寛政9年(1797)に幕府の官学となり、「学問所」と改称されました。
その蔵書は、林家歴代の手沢本(書入れなどがある愛蔵書)を基幹とし、文化年間以後に幕府が歴史・地誌を編纂した際の資料や、昌平坂学問所で出版した「官版」も収蔵しています。
また、諸大名や学者からの入蔵も多く、大坂の町人・木村蒹葭堂や、近江国の大名・市橋長昭、豊後国の大名・毛利高標の旧蔵書は、特に優れたものです。