04 銀座大火

 明治5年(1872)2月26日、和田倉門内旧会津藩邸(現皇居外苑)から出火した火災は、折からの強風に煽られ、丸の内、銀座、築地一帯など東京の中心地を焼失させました。この火災をきっかけに、政府は銀座を耐火構造の西洋風の街並みに改造することを計画します。
 東京府知事由利公正ゆりきみまさ の主導のもと、大蔵省雇トーマス・ウォートルスの設計により都市計画が策定されました。計画は、火災を防ぎ延焼を阻止する方法として、街区を整理し道幅を広くする事や不燃建築により市街を建設する事などが主なものでした。これに従い、火災で焼失した銀座一帯には煉瓦街れんががいの建設が計画され、明治5年に着工、明治10年に完成しました。また、銀座と旧木挽町こびきちょう以東の地域では区画整理が行われるとともに、大通りを幅15間(約27メートル)とするなどの道幅の拡大や歩道の設置などが行われました。資料は、明治5年3月、東京府により定められた煉瓦建築に関する布令です。煉瓦の品質、寸法、外観、施工方法などが規定されています。煉瓦建築と街路整備により、銀座は日本初の煉瓦街として生まれ変わり、煉瓦街は「文明開化」の象徴として親しまれました。

煉化石建築方法
請求番号:太00336100
写真をクリックすると拡大画像が表示されます
ページのトップへ戻る