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家康の神号

 家康の死後、問題となったのは「神号」でした。「明神」(みょうじん)号を主張する以心崇伝(いしんすうでん)と、「権現」(ごんげん)号を主張する南光坊天海(なんこうぼうてんかい)との間で激論になりましたが、秀忠による裁定で「権現」号に決まりました。その後、幕府は朝廷に神号を奏請し、朝廷からは東照大権現、日本(ひのもと)大権現、威霊(いれい)大権現、東光大権現の4つが示され、幕府は東照大権現を選び、家康の神号が決定しました。

東叡山寛永寺元三大師縁起(とうえいざんかんえいじがんざんだいしえんぎ) [請求番号: 192-0528]

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 天海の弟子である胤海が記した書。寛政元年(1789)刊。天海は、家康の神号について、「亡君豊国大明神のちかきためしを覚して…」と豊国大明神の悲惨な末路を引き合いに出し、「権現」号を主張しました。全5冊。和学講談所旧蔵。