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家康の出版事業

 16世紀末から17世紀にかけて、日本は活字印刷の時代を迎えます。活字印刷の技術は、イエズス会の宣教師や朝鮮などからもたらされました。家康は伏見城や江戸城、駿府城に収蔵した書籍の出版を積極的に進めました。慶長4年(1599)から同11年(1606)にかけて、伏見において木活字(もくかつじ、木製の活字)を、元和元年(1615)から翌年にかけては銅活字(銅製の活字)を用いて、多数の書物を出版しました。これらの出版物は伏見版・駿河版と呼ばれ、家康の文化事業を代表する一つです。
 慶長10年(1605)3月、家康の愛読書としても有名な、伏見版の「新刊吾妻鏡」(あづまかがみ)が刊行されました。この書の底本に用いられたのが小田原北条氏に伝来した「吾妻鏡」です。北条氏旧蔵本は金沢文庫本を文亀・永正頃(1501~1521)に書写したものと言われています。
 家康のこうした出版事業によって、これまで見ることが困難であった書籍の多くが、世間に流布することになったのです。それまで秘蔵または秘伝とされていた学問や知識が、家康によって一般に公開・普及されることになりました。

群書治要(ぐんしょちよう) [請求番号: 297-0021]

 唐の太宗が魏徴(ぎちょう)らに命じて編纂させた政治の参考書

新刊吾妻鏡(しんかんあづまかがみ) [請求番号: 特128-0001]

 慶長 10 年(1605) 3 月に出版(伏見版)

吾妻鏡(あづまかがみ) [請求番号: 特103-0001]

 鎌倉幕府の事蹟を幕府自ら編纂した編年体の歴史書