京都府立京都学・歴彩館
公文書担当 海野 大地
1.はじめに
「京都府行政文書」は平成14(2002)年、地方自治体が所蔵する行政文書として初めて重要文化財に指定された[1]。これにより15,407点に及ぶ大規模な近代文書群が文化財修理の対象となり、平成21(2009)年度から修理事業が開始された。本事業は、公文書保存の観点からみれば、専門技術者による修理事業の先行事例といえる。一方で、文化財修理事業者との早期の協力関係や、技術者の派遣・意思疎通に有利な地理的条件など、京都府特有の環境に支えられており、その成果や課題を単純に一般化することは難しい。
そこで本稿では、近代行政文書の保存をめぐる構造的課題を踏まえ、「京都府行政文書」修理事業の展開と課題を検討する[2]。
2.重要文化財指定以前の補修事業
京都府行政文書の補修は、重要文化財指定以前より実施されていた。昭和48(1973)年、虫損や破損が予想以上に深刻で、「閲覧に供することも不能のもの」が認められたことから、閲覧と件名整理を可能にするための外注補修が開始された[3]。とくに明治前半期の簿冊には、出納や件名整理すら困難なものがあり、このままでは損傷が一層進行するおそれがあると認識されていた。
補修内容は、①本紙の裏打ち、②表裏表紙の修繕、③製本仕立てであり、④厚い簿冊の分冊も行われた。①③④は重要文化財指定前の補修の特徴といえ、当時は原形の維持よりも閲覧などに耐えうる強度や取扱いの容易さが優先されていたといえる(参考1)。
昭和63(1988)年には、明治期簿冊を対象に補修の要否が調査された。破損資料の利用による欠落や損傷が進行し、閲覧者への口頭注意だけではこれを防ぎ得なくなっていたためである。調査の結果、明治期の簿冊総数3,088冊のうち、未補修2,485冊(うち要補修1,197冊)、補修済み603冊であった。
当館に残る記録によれば、昭和48(1973)年度から平成12(2000)年度までに約700点の簿冊が補修された。当時は厚い簿冊の分冊も行われたため、補修後の目録上の点数は約1,000点となった。
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参考1 重要文化財指定前の補修 |
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(左)補修後の簿冊/(右)同簿冊の天 |
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全紙裏打ちを施した本紙 |
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3.重要文化財指定にともなう課題と事業設計
平成14(2002)年の重要文化財指定は、修理事業の大きな画期となった。以後、事業は文化財保護法に基づく国庫補助事業として、文化庁の指導監督のもとで実施されることとなり[4]、当館が対象選定や方針決定、事業監督を担い、専門技術者が施工する体制がとられた。
問題となったのは、近代行政文書が大量かつ多様な資料群であり、原本の出納を伴う閲覧利用を前提とする点で、従来の文化財とは大きく異なっていたことである。
アーカイブズの観点からすれば、文化財に指定されたからといって閲覧利用を制限することはできない[5]。とくに京都府立総合資料館(以下、資料館。現在の京都府立京都学・歴彩館。以下、歴彩館)は、個人情報保護制度と閲覧利用制度の調整に取り組んできた[6]。行政文書は、府の意思決定過程や事業実績を検証するための記録であるとともに、京都の歴史や文化を伝え、将来に継承すべき知的資産でもあり、保存と利用の両立が求められていた。
こうした状況を踏まえ、修理事業に先立って科学研究費(以下、科研費)による調査研究が実施された。そこでは、文字・図像情報の保存を優先しつつ、資料の重要性や損傷状況に応じて優先順位を設定し、保存と利用を両立させる長期的かつ段階的な修理計画の必要性が示された[7]。
修理事業は、文化庁、資料館、京都府教育委員会文化財保護課によって設計された。事業の実施にあたっては、複数の修理工房で構成される国宝修理装潢師連盟(以下、連盟)との随意契約が採用された。多様な形態・素材の行政文書に対応できる技術力に加え、技術者の確保や後継者育成を含む持続的な実施体制が重視されたためである。
以上のように設計された修理事業の基本方針は、次の三点に整理できる。
基本方針1:原形保存を原則とした形態の安定化
文化財修理と公文書保存の原則が結びつけられ、原形保存を優先する方針がとられた[8]。これにより、指定以前に行われていた全紙裏打ち、厚紙による製本仕立て、厚い簿冊の分冊は原則として避けられ、原資料の構造を極力変更しない方針が徹底された。また、指定前の補修(参考1)とは異なり、すべての処置に可逆性が求められ、指定時の形態を維持して修繕することとなった(参考2)。
科研費調査によって、多様な素材や劣化状態に応じた保存方法の確立が必要であることが示された[9]。明治期の資料は和紙が中心で虫損が多く、昭和期に多い洋紙は保存性が低いため酸性劣化や破損が目立った。また、青焼き図面や写真など処置方法が十分に確立されていない素材も多く確認された。資料の年代や素材、形態によって修理の難易度が大きく異なることから、脱酸処理などの化学的処置は採用せず、物理的な「形態の安定化」を中心とする方針が採用された。
基本方針2:「修理」と「保存のための処置」の二層構造
「利用される文化財」という近代行政文書の特性に対応するため、文化庁との協議を経て、「修理」と「保存のための処置」からなる二層構造の保存管理体制が整えられた。これは、大量の資料を保存しながら利用に供するための現実的な方法であった。
「修理」は、文化財保護法に基づく修理[10]として専門技術者が行い、撮影による代替化とあわせて実施する。京都国立博物館内にある連盟の修理工房において、簿冊を解綴して必要な処置を施す。自重による損傷を防ぐため中性紙のカバーをつけるなどして補強し、特注の保存箱に収納する。図面はいったん折り目を伸ばしてフラットな状態にし、撮影したうえで、折り回数を減らして安定化を図り、簿冊に収まらない場合には別置する(参考3)。また、年三回の修理監督において、文化庁、京都府、連盟が処置方針を協議している。
「保存のための処置」は、代替化を前提とせず、原本を閲覧可能な状態に維持することを目的として、連盟から派遣された技術者が館内で行う。本事業では、文化財保護法上の修理とは区別される維持管理行為として位置付け、解綴は行わない。表裏表紙の修繕、アイロンによる皺伸ばし、劣化要因となるホッチキスの除去、軽微な補修などを施す(参考2)。1点当たり2~4時間の処置を基本とし、図面などは処置の対象としない。将来的な修理を見据えて可逆性を重視し、処置にあたっては職員との協議や作業記録の作成を前提とする。
このように、代替化後の原本保存を目的とする「修理」と、原本利用を支える「保存のための処置」を使い分けることで、保存と利用の両立が図られた。
基本方針3:代替化による原本利用の抑制
修理にあわせて資料を撮影し、その画像から代替物として写真帳を作製して閲覧に供することとした(参考3)。代替化により原本を出納する機会を減らすことは、修理後の状態を維持することにつながるため、撮影による代替化が修理事業の一環として位置付けられた[11]。
また、行政文書には多様な素材が用いられているが、その多くは長期保存を想定していないため、膨大な数の原本を安定した状態で維持し続けることは困難である。このため、原形保存に努める一方で、文字や図像などの情報を確実に残すことを優先するという観点からも、代替化を重視する方針がとられた。
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参考2 重文指定後「保存のための処置」 |
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表裏表紙の修繕(和紙による繕い)など |
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原形のまま皺伸ばしされた本紙 |
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参考3 重文指定後の「修理」 |
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(左上)写真帳含む全体像、(右上)別置された青焼き図面 |
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(左下)中性紙による簿冊の補強、(右下)外表紙を開いた状態の簿冊 |
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4.修理事業の現状と課題
(1) 修理事業の現状
修理事業は開始から15年余りが経過した。事業は3年間を1期として実施され、第1期には「修理」の実施点数の確保を重視し、建物疎開関係資料など比較的処置しやすい資料を対象とした。第2期以降、「修理」の実施点数は減少したが、これは図面を含む簿冊など、修理コストの高い資料を対象とするようになったためである。
館内で行う「保存のための処置」は段階的に強化され、処置点数も増加した(参考4)。対象資料は、日常の出納や閲覧対応のなかで職員が処置の必要性を認めたものを記録し、資料の重要性、損傷の程度、利用頻度などを踏まえて、派遣技術者との協議を経て選定している。これにより、明治・大正期の和紙を主体とする簿冊を中心に、原本利用を継続できる状態の維持を図ってきた。
一方、事業の進行に伴い、従来の方法では対応しにくい資料が残されることとなった。厚い簿冊や図面を多く含む簿冊、破損の著しい昭和戦前期の資料などは、解綴を伴う「修理」では多くの時間と費用を要し、非解綴を原則として1点当たりの処置時間が限られる「保存のための処置」でも十分な対応が難しい。さらに近年は、事業費の縮小や修理・撮影費用の上昇により、処置点数の維持も難しくなりつつある。
参考4 「修理」「保存のための処置」の実施点数と事業費の推移
(2) 今後の課題
今後の課題は、次の三点である。第一に、現行の二層構造では対応しにくい資料への対処である。従来の枠組みを維持しつつ、必要箇所に限定した部分修理や図面単位の処置など、両者の間を補う処置区分の検討が求められる。
第二に、代替化の拡大である。現在、資料撮影は「修理」と一体で行われ、対象点数が限られるが、青焼き図面や酸性劣化した紙、退色の進むこんにゃく版などは情報が失われる前に記録しなければならない。こんにゃく版の多い「例規」類の優先的な撮影や、アーカイブ用スキャナの導入などにより、「修理」と切り離した代替化を進める必要がある。
第三に、重要文化財に指定されていない戦後文書への対応である。とくに昭和20年代の文書には保存性の低い紙が用いられ、劣化が著しいが、指定外資料への対応は、出納時に確認された軽微な破損の補修などに限られる。今後は、職員による補修と代替化を組み合わせ、指定の有無にかかわらず行政文書を継続的に保存する体制の整備が課題となる。
大量の行政文書すべてに精密な文化財修理を施すことは現実的ではない。限られた予算と時間のなかで、資料の状態に応じた処置と代替化を組み合わせ、原資料の形態および文字・図像情報の保存と閲覧利用との両立を図らなければならない。
[1]福島幸宏「京都府行政文書の重要文化財指定と課題」(『アーカイブズ』36、2009年)。小林啓治研究代表・京都府立総合資料館歴史資料課編『京都府行政文書を中心とした近代行政文書についての史料学的研究』(2005年-2007年科学研究補助費基盤研究(B)研究成果報告書、課題番号: 17320101、2008年)第一部の各論稿を参照。なお文化財指定の正式名称は「京都府行政文書」であるため、本稿では基本として行政文書の語を用いる。公文書と区別することを意図したものではない。2026年8月現在の京都府では、戦前期の文書も含めて現用文書(永年文書)として扱っている。
[2]なお、本稿の記述および引用は、特記したものを除き、当館が保管する修理事業関係の事務文書に基づく。これらは現在一般の閲覧に供していないため、以下では個々の出典を省略する。
[3]渡辺佳子「京都府行政文書の構成と保存管理の変遷」(前掲科研費報告書)。なお事務文書によれば、当初は簿冊を収納・保護する帙を作製するために予算がつけられていたが、帙を先に作製しても、簿冊を補修して厚みが変化すると寸法が合わなくなるおそれがあった。そこで帙作製費を転用し、修理事業をはじめることとなったという。
[4]当事業は、国宝重要文化財等保存整備費補助金(現・国宝重要文化財等保存・活用事業費補助金)の対象事業であり、修理費の2分の1について国庫補助を受けている。
[5]資料の状態から閲覧制限を要する場合を除く。青木睦氏は、アーカイブズ保存の基本理念を「利用なくして保存はない」と表現している(「アーカイブズ保存の理論」『アーカイブズ』32、2008年)。
[6]渡辺佳子「文書館における個人情報の取り扱いを考える」(『記録と史料』9、1998年)。
[7]地主智彦「文化財としての近代行政文書の保存修理試論」、稲葉政満「近代行政文書の保存科学」、川野辺渉「文化財としての近現代資料の保存修復」、金山正子「部分修復技法と保存計画」(前掲科研費報告書)。
[8]行政文書は編綴や移動、保管の過程で状態が変化しやすいことから、「どの状態を現状とみなすか」が課題となったが、最終的には文化財指定時の状態を基準として保存する考え方が採用された(地主前掲論文)。
[9]入山洋子「京都府行政文書と昭和20年代府庁文書の劣化状況概要調査の報告」、海野彰子「京都府行政文書の劣化調査」、加藤雅人・坪倉早智子「複写物の保存と修復について」(前掲科研費報告書)。
[10]なお、本事業では、独自の区分として、解綴を伴う処置を「修理」、解綴を伴わない軽微な維持管理行為を「保存のための処置」と位置付けている。
[11]原本の出納機会を減らすことが形態の安定化を図るうえで何より効果的であること、文字・図像情報の保存を重視するために代替化を促進する必要があることについては、稲葉政満「近代行政文書の保存科学」(前掲科研費報告書)。












