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旗本御家人II 幕巨たちの実像
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異才の幕臣たち

屋代弘賢(やしろひろかた)(1758-1841)

屋代弘賢、通称は大カ、太郎吉。名は詮虎。のちに詮賢、弘賢、詮丈と改める。号は輪池。幕臣の子に生まれ、7歳の年から幕府の右筆森尹祥に書道を学び、安永8年(1779)、22歳で家督を継ぐ。天明元年(1781)、西丸台所に出仕。同6年、本丸附書役に。寛政5年(1793)、奥右筆所詰支配勘定格となり、文化元年(1804)3月、勘定格(御目見以上)に昇進。翌2年、ロシアに対する幕府の返書を清書。『藩翰譜続篇』『寛政重修諸家譜』など幕府の編纂事業に参加したほか、『古今要覧稿』の編纂の中心となる。天保12年(1841)閏正月、没。84歳。死亡時の役職名は奥右筆所詰奥右筆格。

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