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旗本御家人II 幕巨たちの実像
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幕末から明治へ

大鳥圭介(おおとりけいすけ)(1833-1911)

大鳥圭介、名は純章、如楓と号した。現在の兵庫県赤穂郡上郡町で医師の子として誕生。岡山の閑谷学校、大坂の適塾で学んだのち、文久元年(1861)12月、江川太郎左衛門鉄砲方附蘭書翻訳方出役に。同3年8月、海陸軍兵書取調方出役。元治2年(1865)1月、幕臣に採用され(それ以前は、尼崎藩や徳島藩に仕えていた)、富士見宝蔵番格歩兵差図役勤方。慶応2年(1866)1月、小十人格歩兵差図役頭取勤方。同3年5月、歩兵差図役頭取に。10月、歩兵頭並。同4年(明治元年)に歩兵頭さらに歩兵奉行に。江戸開城後、脱走して各地で政府軍と戦う。

明治2年(1869)、箱館戦争に敗れて降伏。入獄。同5年、出獄して開拓使出仕。同8年に工部省に移り、工作局長などを経て明治15年(1882)に工部大学校長に就任。学習院長、華族女学校長を兼ねた。同22年、特命全権公使に任命され清国在勤。同27年、枢密顧問官。同33年に男爵を授けられ、同44年(1911)6月15日、没。79歳。

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