小野友五郎(おのともごろう)(1817-98)
文化14年(1817)、常陸国笠間藩(藩主・牧野氏)の下級藩士小守宗次の子として誕生。天保4年(1833)、小野家の養子となり藩の先手組に編入。同7年、家督相続。同12年、江戸詰になる。嘉永4年(1851)12月、牧野家の家来のまま、幕府の天文方御用手伝過人に。安政4年(1857)5月、軍艦操練教授方出役。同7年(万延元年)勝海舟と共に咸臨丸で米国へ向け出航。6月、将軍家茂に謁見。文久元年(1861)7月、小十人格軍艦頭取(幕臣になる)。同3年5月、両番上席軍艦頭取。12月、勘定組頭。元治元年(1864)6月、勘定吟味役。慶応3年(1867)10月、勘定奉行並。同4年(明治元年)1月、免職。
明治3年(1870)4月、民部省鉄道掛。同10年、鉄道寮を退官。同31年(1898)10月、緑綬褒章を下賜され、同29日、没。82歳。