中川忠英(なかがわただてる)(1753-1830)
中川忠英、通称は勘三郎。明和3年(1766)10月、14歳で10代将軍家治に拝謁(初目見)。同年11月に家禄1,000石を相続。安永6年(1777)12月に小普請組頭。天明8年(1788)9月に目付に転じ、12月に布衣を着することを許される。寛政7年(1795)2月に長崎奉行。7月、従五位下飛騨守に任ぜられる。同9年2月に勘定奉行となり、6月より関東郡代兼任。大目付、留守居を経て、旗奉行在任中の文政13年(1830)9月、没。78歳。
*「布衣」は無紋で裏のない狩衣で、式日にその着用を許されることが旗本の立身の証とされた。