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43.新選組隊長近藤勇以下三十名御手当之儀書上ほか(江戸城多聞櫓文書)しんせんぐみたいちょうこんどういさみいかさんじゅうめいおてあてのぎかきあげ

文久3年(1863)、幕府は尊攘派浪士を懐柔するため浪士組(ろうしぐみ)を結成し京都へ派遣しますが、新撰組はこのうち近藤勇・芹沢鴨(せりざわかも)ら京都に残った浪士の集団(他の浪士は江戸に帰り新徴組(しんちょうぐみ)に再編成されます)。会津藩主で京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)の配下として八月十八日の政変に出動し、その頃から新撰組と呼ばれるようになりました。

江戸城多聞櫓文書の中には、新撰組関係史料も数点含まれています。池田屋事件の関係では、池田屋に出動し壮絶な斬り合いを演じた近藤勇らに褒賞金が下される旨の文書(請求番号:多024400)、褒賞金の下賜に対して新撰組を預かる京都守護職松平容保から老中に出されたお礼の一札(請求番号:多022461)があり、ほかに鳥羽伏見の戦いに敗れ負傷して江戸に戻った近藤勇や山口次郎(斎藤一。後に藤田五郎)が医学所で松本良順の治療を受けたことを示す文書(請求番号:多027290、多032748)も見えます。

新選組隊長近藤勇以下三十名御手当之儀書上
浮浪之徒洛内江聚屯之節新撰組及鎮静ニ付金子千両被下置候ニ付御礼一札
新撰組手負之者医学所江罷越之儀申上候書付ほか

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