(巻頭エッセイ)たかが物語、というには身につまされることなど 

国立公文書館
理事 福井 仁史

八幡神に参拝する義仲さま

八幡神に参拝する義仲さま

 国立公文書館では、この夏、平成30年度第2回企画展「平家物語――妖しくも美しき」を開催しました。当館の保有する平家物語コレクションを使って、登場する妖しきものたちの紹介、「明月記」他の同時代記録との比較などを行って、たいへん好評だった・・・と思っています。
 右の写真の場面で、木曽義仲の仲間に「手書き」(祐筆、書記)の大夫房覚明という人が出てきます。この人は鎧かぶとの武者姿で、携帯していた硯や紙を取り出して、八幡神への願書をすらすらと書きはじめる。もとは儒家だったが出家して、以仁王の挙兵の際に南都側からの返事を起案した。その文章の中で、「清盛は平氏の中のカス、武家のゴミくず」と書きやがったというので、指名手配を受けて義仲のもとに亡命していたのだそうです。
 覚明は義仲から比叡山に協力を求める書状も書いていますが、物語にはこの際の比叡山側の返事や平家側からの書状なども記載されており、それぞれの集団の「手書き」たちが意思形成の舞台回しをしている姿が垣間見れて興味を引きます。「手書き」たちは本来なら歴史の裏方のはずですが、覚明という人は平家物語の成立に関わった可能性もあるのだそうで、思わず表に顔を出してしまったのでしょう。
 話は変わりますが、壇ノ浦で捕虜になった平大納言時忠が、
 「他者に渡してはいけない文書を一箱、九郎判官・義経に没収されてしまった。あれを鎌倉の頼朝に見られれば、関係者が多く処罰されるだろうし、わしの命もそれまでじゃ」
 と嘆く場面があります。結局、時忠は娘を義経のもとに入れ、そのルートから陳情して文書を取り戻すと、ただちにそれを焼き捨ててしまいました。
 この文書の中身は、日記や手紙なのか、時忠は検非違使の仕事の長い人なので、その関係の捜査資料かもしれません。「これは焼いてはいけませんよ」と進言するべきか・・・。
 もちろん、物語です。歴史的な事実とどれほど合致しているかわかりません。また、国民主権の概念などかけらも無い時代です。それでも、いろんな人の意思を統一して組織を動かしていく以上、「文書」というツールを介在させざるを得ないのは、中世であっても現代であっても変わりがありません。逆に物語のおかげで、行政の適正性・効率性、国民との共有など、現代の公文書管理の課題が浮かび上がってきます。「たかが物語」ですが、いろいろ問題意識を刺激されてしまいました。