香港大学既卒者向けアーカイブズ学講座に参加して

国立公文書館 総務課
公文書専門員 長岡 智子

はじめに

   国際公文書館会議東アジア地域支部(EASTICA[1])は、その事業の一環として、香港大学専業進修学院(HKU SPACE[2])と共催で、香港大学既卒者向けアーカイブズ学講座(PCAS[3])を開講している。これは、アーキビストまたは関連機関において記録管理に従事する者を対象とした社会人向け専門講座で、2003年[4]から概ね毎年、例年3週間の集中講義形式で実施されており、2016年は11月14日(月)から12月2日(金)にかけて開催された。筆者は国際交流業務と研修の一環として同講座の受講の機会を得た。以下にその概要を報告する。

1. プログラムの概要

   PCASプログラムは、アーカイブズ及び記録管理分野の最新の専門知識とスキルの習得、専門家として国際経験を積むこと等を目的としている。講義及び演習は英語で行われ、85%以上の出席と修了レポート(英文、4,000語以上)の提出が課されており、修了者には修了証(Certificate)が授与される。2016年度のコーススケジュールと担当講師は以下のとおりである[5]。

1~3担当 サイモン・チュー(Simon F. K. Chu)PCAS主任講師、元香港政府档案処長、EASTICA事務局長
4 サラ・チョイ(Sarah Choy)香港立法会档案館チーフアーキビスト
5 トゥルーディ・ピーターソン(Trudy H. Peterson)元米国国立公文書記録管理院長代行
6 ピーター・ホースマン(Peter Horsman)元アムステルダム大学教授
7 サンミン・リー(Sangmin Lee)韓国国家記録研究院運営評議員
8 ピット・クアンワ(Pitt KuanWah)元シンガポール国立公文書館長

主な教場となったHKU SPACEアドミラルティ学習センター

主な教場となったHKU SPACEアドミラルティ学習センター

講義風景

講義風景


   講義はHKU SPACEが所有する学習センターのうち、香港島の中心部、議会(立法会)や官庁街に近い金鐘(アドミラルティ)の施設等で行われた。講義は概ね初任者向けの基礎的な内容で、実践的視点を交えつつ理論の概説に重点を置いた構成となっている。講師はいずれも各国・地域の国立公文書館等で要職を務めた経験豊富な実務家で、国際公文書館会議(ICA)やEASTICAをはじめとする国際的な専門家団体の活動等で重要な役割を担っている人たちである。このため欧米における記録管理の理論やアーカイブズ学の発展史を踏まえながら、それら理論と国際的人権活動等の現場におけるアーカイブズの実践例を結びつけた専門的解説が行われ、さらにそれらの事例を織り交ぜた練習問題が出される等、非常に密度の濃い内容であった。また、受講生にも積極的な参加が求められる演習形式の講義が多く、受講生同士のディスカッションやプレゼン等、グループワークも重視されていた。
   2016年度の受講生は、筆者を含め全体で14名だった。うち、韓国国家記録院からの1名(大統領記録館)、マカオ档案館からの2名と筆者の他は、香港の大学勤務のイタリア人研究者を含め全て地元香港からの参加だった(今回、中国大陸からは学生ビザが間に合わず不参加)。半官半民の公的機関や大学に勤務する者が多く、専門分野としてはほとんどの学生が歴史学か図書館情報学を専攻してきたとのことだったが、背景や年齢は多様で、グループワークの議論にも幅が出てよい効果を生んでいた。大別してアーカイブズ管理に直接携わる人やその方面に進むことを希望する人と、図書館や博物館業務の延長でスキルアップを目指す人が半々で、後者については求職中の社会人もいた。

2. 講義内容

   午前・午後、3週間にわたる計28コマの講義・演習のうち、筆者にとって特に印象的だったいくつかの講義について内容を概観してみる。

(1) 「はじめに:記録管理に係る基本用語と基本概念」「記録管理」「アーカイブズの構造と整理法」
   第1週は主任講師のサイモン・チュー氏によるアーカイブズ及び記録管理の概論が行われた。同氏は香港政府档案処長を務めた後、現在は大学で教べんをとるほか、EASTICAの創設時からの事務局長で、ユネスコ「世界の記憶」アジア太平洋地域委員会などでも活動している。
   プログラムの導入としてまず記録(レコード)の定義に始まり、記録の三大要素としての内容・文脈・構造、記録の必須要件としての真正性・信頼性・完全性・利用性、あるいは記録の特徴としての公正性・自然性・相互関連性・唯一性などの概念説明が行われた。記録のライフサイクル論に関する講義では、ファイリングの実践や香港政府档案処で採用されているレコードスケジュールのガイドラインなども含む具体的な例を参照しながら、オランダ、英国、米国、オーストラリア等で発達した記録管理理論の紹介がなされた。
   さらにアーカイブズ、特に資料の編成に関して、図書館との比較を多用しながら、出所の原則及び原秩序保存の原則というアーカイブズに固有の理念、あるいは各種階層のとらえ方等の基本知識について丁寧な解説があった。そして週の後半は、2週目以降の各論でとりあげるテーマのうち、記述と評価選別について国際的な基準や概念の変遷史を含む導入的な解説が行われた。

(2) 「アーカイブズと法」
   講師のサラ・チョイ氏は香港政府档案処歴史档案館を経て香港立法会档案館の設立時から現職で、この間、ICAのアーカイブズ法制委員会委員も務めてきた。講義では記録及びアーカイブズの管理上知っておくべき各種法令についての概論の他、記録と法律の関係や各国に共通のアーカイブズ関連法令、法律家との付き合い方などの論点がとりあげられた。具体的には、たとえば記録の適切な作成、保存、移管及びアクセスの提供等の各場面で法律がかかわってくること、関連する代表的な法令として、アーカイブズ法、情報公開法、個人情報保護法、著作権法に加え、国勢調査に関する法令等があることが解説された。

   上記を含めたすべての講義を通じて、欧米型民主主義の伝統を基礎としたアーカイブズ理論が講じられる中、ディスカッションの場では、現在の香港をとりまく政治状況との関連で率直な意見交換がなされた。とりわけ香港における法制の未整備が政府記録の保存に及ぼす影響について、地元講師が強い危機感を吐露していたのが印象的だった。

3. 視察プログラム

   講義に加え、香港近隣のアーカイブズ機関3か所の視察が行われた。マカオ档案館を含め、いずれも規模はさほど大きくないが、目録の編成・記述方法、書庫の管理条件等、講義で学んだ守られるべき規準を忠実に実践し、海外のグッドプラクティスを積極的に取り入れている様子がうかがえた。以下にごく簡単に紹介する。

HSBC(香港上海滙豐銀行)アーカイブズ展示コーナー

HSBC(香港上海滙豐銀行)アーカイブズ展示コーナー

 (1) HSBC(香港上海滙豐銀行)アーカイブズ

   植民地時代の香港で創設された英国系銀行の企業アーカイブズ。同社のアーカイブズはロンドン、パリ、ニューヨークにもあり、香港の資料は一度ロンドンに送られたが香港に戻した経緯があるとのこと。所蔵資料は経営史だけでなく香港の社会や人に関する広範な歴史研究の材料として活用されており、肖像画を中心に美術品も所蔵している。デジタル技術を駆使した展示施設や書庫を見学した。

マカオ档案館外観

マカオ档案館外観

(2) マカオ档案館

   中華人民共和国マカオ特別行政区政府の公文書館。1600年代のポルトガル領時代からの歴史的資料に加え、近年の法改正により特別行政区政府の公文書管理についても権限が強化され、業務の拡大が図られている。

   歴史的建造物の保存利用事例としても興味深く、スペースの問題等から閲覧や展示の設備はかなり制約が大きいようだが、その分、デジタル化の推進や他機関との共同事業の展開にも力を入れている。またユネスコ「世界の記憶」関連の活動にも積極的に取り組んでいるとのことである。所蔵資料のうち最古のものは1630年の市議会議事録(日本への使節派遣が議題にのぼっている)で、インターネット上で画像が公開されている[6]。

香港立法会档案館でのオンライン検索システム説明の様子

香港立法会档案館でのオンライン検索システム説明の様子

(3) 香港立法会档案館

   中華人民共和国香港特別行政区立法府の公文書館で、2012年1月に創設。立法会図書館内の奥まった場所に位置しており、閲覧スペースや書庫も小規模で、これまでのところ原本閲覧にくるのは研究者等に限定されているとのこと。展示スペースは受付横のケース1個分のみで、1844年の第1回会議議事録等の基本資料の複製が飾られていた(原本はイギリス国立公文書館が所蔵)。
その反面、利用登録・検索・利用申請までの一連の手続きをオンラインで簡便に処理できるシステムが整備されており、資料の利用者・提供者双方にとって効率よく機能しているとの説明だった。本格的な利用の促進が図られるのはこれからといえそうだ。

おわりに

   筆者にとって、国際交流業務を担当し始めて1年半を経た段階で受講の機会を得ることができたのは理想的なタイミングだった一方、自分の知識や理解の程度、英語運用能力等が試される厳しい場でもあった。講義だけでなくクラス外の時間も含めて、講師・受講生相互の交流を通じて様々な情報や意見の交換ができたのはもちろん、日常業務ではあまり触れることのない広範囲の海外事情について直接話を聞くことができたのは非常に有益な経験だった。

   2003年のプログラム開始から13年を経て、HKU SPACEとしても内容の改善に向けて試行錯誤を重ねているようで、EASTICAがこのプログラムを共催する目的が、東アジア全域の現場アーキビストの能力向上に資するための研修機会の提供であることを考えると、日本をはじめとする香港外からの積極的な参加が望まれるところである。

[1]   East Asian Regional Branch, International Council on Archives
[2]   School of Professional and Continuing Education, University of Hong Kong
[3]   Postgraduate Certificate in Archival Studies
[4]   第1回講座についてはhttp://www.archives.go.jp/publication/archives/wp-content/uploads/2015/03/acv_12_p23.pdfを参照。(2017年4月7日アクセス)
[5]   プログラム概要、最新の募集関係告知、主な講師の紹介等(いずれも英文のみ)は http://hkuspace.hku.hk/prog/postgrad-cert-in-archival-studies を参照。
[6]   http://www.archives.gov.mo/webas/ArchiveDetail2016.aspx?id=4680 (2017年5月1日アクセス) 資料の解説(英語)はhttp://www.archives.gov.mo/en/featured/detail.aspx?id=22(2017年5月1日アクセス)