第10回企画展「国立公文書館共催 明治の日本と三重~近代日本の幕開けと鹿鳴館時代~」を開催して

三重県総合博物館 
藤谷 彰

はじめに

「明治の日本と三重~近代日本の幕開けと鹿鳴館時代~」のチラシ

「明治の日本と三重~近代日本の幕開けと鹿鳴館時代~」のチラシ(クリックすると拡大します)

   平成28年2月6日(土)から3月21日(月・振替休日)までの間、当館の企画展示室にて、独立行政法人国立公文書館(以下、「国立公文書館」という)と共催で、第10回企画展「明治の日本と三重~近代日本の幕開けと鹿鳴館時代~」を開催した。

   この企画展は、平成27年度の国立公文書館所蔵資料展(館外展示)に、当館所蔵の「三重県行政文書」をはじめとする三重県内の近代史資料を組み合わせる形で展開した。それは、近現代史上の画期となったできごとを記した歴史的公文書を主体とした展覧会を開催することで、県民のみなさんに、当館が博物館機能と公文書館機能を一体化していることや、公文書館機能とはどのようなものなのかご理解いただくという意図があった。開催時期が極寒の季節で来館者も減少する時期であったにもかかわらず、39日間の会期中、4,877人(1日平均125人)の方にご観覧いただいた。

   以下、本稿では、展覧会の開催の経緯やその概要を紹介したい。

1.開催までの経緯

   前述したように、博物館機能と公文書館機能を一体化している当館の特色や公文書館機能について県民のみなさんにご理解いただくため、開館準備段階より歴史的公文書を主体とした企画展を計画し、平成27年度の冬の企画展として開催することとした。展示内容は、近代日本の歴史、及び三重県の歴史事象を紹介する構成とし、前者については平成24年度より国立公文書館が実施している館外展示への応募を検討し、後者については当館所蔵の明治時代以来県庁に所蔵されてきた公文書を中心とした展示構成を計画した。

   そうした中、国立公文書館より27年度館外展示の公募があり、当館では「公文書に見る日本のあゆみ」を希望テーマとして選び、当県有形指定文化財である「三重県行政文書」を用いて、「三重県の誕生」というテーマでの展示と合わせることで、日本、三重県の歴史がよくわかり、相乗効果が期待されることをアピールポイントして、26年12月に応募した。

   翌年1月には、国立公文書館より開催決定の通知を受け取り、その後、期間や内容の変更について協議をし、期間については1か月延長して合計39日間に、内容については、明治初期から20年代までの日本のあゆみがわかる資料を中心に調整していただくこととなった。それ以降、国立公文書館及び、関係機関と協議を重ねて、展示資料の確定、図録作成、借用資料の調整を行い、28年2月初旬には資料の展示を終え、2月5日には内覧会を開催し、翌6日に開幕した。

2.展示内容

三重県布達

三重県布達(転載禁止)

   展示構成は、5章立てとし、第1章を「公文書にみる明治前期の日本」、第2章を「鹿鳴館時代の三重」、第3章を「県庁に残された明治時代の公文書と絵図」、第4章を「こうして三重県と町や村ができた」、第5章を「全国展開した三重のできごと」とし、第1章は国立公文書館所蔵資料を中心として展示し、それ以外を当館や他館からの借用資料で構成することとした。そして、プロローグを「写真にみる明治」、エピローグを「明治時代の服装・歴史的公文書ってどんなもの」とした。

   プロローグでは、展示への導入として、明治時代の三重県内の風景や人物写真を展示し、明治時代のイメージを視覚的にとらえることで、どちらかといえば、なじみの薄い歴史的公文書を主体に展開する展示を、身近に感じていただくよう工夫をした。

   第1章では、近代国家建設に向けての明治政府の取組を中心に、明治前期の日本のあゆみを三重県の歴史と織り交ぜながら展示した。資料は、国立公文書館所蔵資料で構成され、重要文化財「公文録」を含む51点の実物資料や写真資料などを展示した。特に、地租改正反対一揆、三重紡績、四日市港、関西鉄道・参宮鉄道など三重県に関係のある資料を加えていただいた。

   第2章では、明治16(1883)年から20年にかけての鹿鳴館時代の展示を行った。ここでは、鹿鳴館の階段や使用された椅子、錦絵などを展示した。この時期の三重でも、西洋好みの石井邦猷三重県令が、県庁で祝賀会を開催し鹿鳴館時代を演出したことも伝えた。

   第3章では、当館所蔵の県指定有形文化財「三重県行政文書」中の絵図や地図、歴史的公文書を展示した。この文書群には、江戸時代から県庁に引き継がれた多くの絵図や明治10年代後半から20年代前半にかけて作成された多数の県内の各村の詳細な地籍図が含まれており、それらの代表的なものを展示した。また、歴史的公文書については、公文書が果たしてきた情報の伝達の変遷という観点から展示を行い、近代初頭の廻状、近代前期の三重県布達、近代中期の三重県公報などを展示した。

   第4章では、近代における三重県と町・村の成立の様子がわかる資料を展示した。現在の三重県は、江戸時代の錯綜した藩領が版籍奉還や廃藩置県を経て、安濃津県(のちに三重県)、度会県の二県となり、さらに明治9(1876)年4月に度会県が廃され、三重県に統合されたことにより誕生した。また、町・村は、大区小区制・連合戸長役場制を経て、明治22年の明治の大合併により市町の基礎を築いていったが、その経緯を示す「郡町村分合取調書」「村会議決録」などの資料を展示し、私たちが暮らす地域の行政の成り立ちを伝えた。

三重県下頑民暴動之事件

三重県下頑民暴動之事件(転載禁止)(クリックすると拡大します)

   第5章では、数ある歴史的公文書の中から、三重でのできごとが全国に影響を与えた事例を展示した。具体的には、明治9年に三重県で勃発した農民一揆が明治政府の租税政策を変更させた地租改正反対一揆関係資料や、「三重ブランド」の発祥のきっかけとなる県内博覧会や内国勧業博覧会、水産博覧会などに関連する資料を展示した。

   エピローグでは、安保関連法案や伊勢志摩サミットなど話題性に富む資料として、国立公文書館所蔵の日本国憲法、洞爺湖サミット広報パネルなどの歴史的公文書の複製による展示や、当県での歴史的公文書が生み出だされるしくみのほか、公文書館機能とはどのようなものなのかを、歴史的公文書やパネルを使って紹介した。

3.展示を振り返って

内覧会の様子

内覧会の様子

   国立公文書館との共催による展示は、近代日本の歴史を国立公文書館が、近代の三重の歴史を当館が受け持ち、各々の所蔵資料の特性を生かした展示を行ったことにより、明治時代という全国的な歴史の流れを理解した上で、地域(三重)での歴史事象を見ることができたことや、地租改正反対一揆の展示に見られるように、中央と地方での歴史事象を関連づけて同時に見つめることもできるなど大きな効果があったと考えている。この点については、国立公文書館の加藤館長も「日本が近代国家としての体制を整えた明治以降は、中央政府の政策と地方の動きが強く結びつくようになっており、その意味で国と地方双方の動きを同時に観ることができる共同展示には大きな意義があると言える」(「アーカイブズ第59号」)と、共同展示の意義を強調されている。

   また、今回の展覧会では、歴史的公文書や古文書など、資料の解説をとおして理解度を高め知識を深める展示に、鹿鳴館の階段などの実物資料や地租改正反対一揆の泥絵など、視覚や感性による理解を促す資料を織り交ぜて紹介することにより、歴史的公文書への親和性を高める展示を試みた。

   その結果を来場者へのアンケート(277人の回答、観覧者の平均年齢33.5歳、男女比は男59%、女41%)で確認すると、興味をひくものがあったと回答した人が85.3%、展示を見て新たな考えや刺激があったとの回答した人は73.6%であった。そして、この展示についての満足度は、満足、やや満足という肯定的な回答は85.2%、不満・やや不満という否定的な回答は14.8%で、多くの人に満足いただいたようである。この展示を通じて、公文書館機能や歴史的公文書への理解を深めていただく効果があったのではないかと考える。

   最後に、こうした貴重な機会を与えてくださった国立公文書館の方々、本展覧会にご来場いただいた多くの皆様に感謝し御礼を申し上げたい。