世界記憶遺産「東寺百合文書」と新総合資料館について

京都府立総合資料館[1] 小森浩一
四方寿和
大塚活美

Ⅰ 世界記憶遺産「東寺百合文書」

1 東寺百合文書について

 2015年(平成27)10月10日、京都府立総合資料館の所蔵資料の一つである国宝「東寺百合文書」がユネスコの世界記憶遺産に登録された。百個の桐箱に収納されて現在まで伝えられたことから、この名称で呼ばれることとなった東寺百合文書は、京都の東寺(教王護国寺)に集積・保管されてきた中世文書である。総数にして約19,000点(約25,000通)にも及ぶ古文書群であり、東寺創建前の8世紀末(奈良時代末)から18世紀初頭(江戸時代中期)までのおよそ1,000年間の資料を含んでいる。寺内の法会や諸行事はもとより、東寺が全国各地に領有した荘園に関する文書も数多く含まれていることから、日本中世史研究の基本資料とも言われている。

前田綱紀寄進の桐箱と文書の一部

前田綱紀寄進の桐箱と文書の一部

 近世に入り文書の現用性が失われると、多くの場合、これらの文書類は廃棄される運命をたどることになるが、幸いにも東寺に伝えられた中世文書はそうはならなかった。1685年(貞享2)、加賀藩第5代藩主・前田綱紀が東寺に寄進した百個(=百合)の文書保存箱が、大量の中世文書が散逸するのを防いだ。「百合」もの桐箱は、東寺に伝わる多くの中世文書を、現用当時の保管秩序をある程度保ちながら長く後世に伝えるための専用のアーカイブズ容器として大きな役割を果たすことになったのである。
   1967年(昭和42)、文化財保護を目的として、京都府は東寺百合文書を一括して東寺から購入した。以後、1997年(平成9)の国宝指定を経て今日のユネスコ世界記憶遺産登録に至るまで、京都府立総合資料館において実施されてきた様々な取り組みについて、次項以降において紹介したい。
   なお、当館での取り組みも含め、アーカイブズとしての東寺百合文書に関する最近の著述には、上島有氏の「東寺百合文書と中世アーカイブズ学研究の黎明—百合文書のデジタル画像の公開によせて−−」(『資料館紀要』 第43号、京都府立総合資料館、平成27年3月)などが挙げられる。

2 京都府立総合資料館での取り組み

 1967年の東寺百合文書受け入れ直後から、当館では仮目録の作成と損傷の激しい文書の修理作業に着手した。専任職員が配置されはしたものの、これらの作業には膨大な時間と労力を要した。館としての本目録である『東寺百合文書目録』全5巻が刊行されたのは1976年(昭和51)3月から1979年(昭和54)3月にかけてのことであり、実に10年以上の歳月を要している。また、京都府単費により、およそ9,000点の文書に対して修理を施す第一次修理事業が実施されたが、この事業が終了したのは1973年(昭和48)のことで、これも7年間に及ぶ大事業であった。さらに重要文化財指定(1980年)後の1983年(昭和58)からは、国庫補助を受けながら第二次修理事業として約1,000点の文書に修理が施された。逆に言えば、残る約9,000点は未修理のままで現在も保存されており、例えば中世の料紙研究をされている研究者から、「大変貴重であり、ぜひこのまま修理をせずに保存していってほしい」と懇願されたエピソードなどもある。
   本目録の完成に伴い文書の一般公開が始まったが、一方で文書原本の保護と利用の便宜を図るため、全点のマイクロフィルム化にも取り組んだ。1980年(昭和55)から3箇年をかけて実施された撮影の結果、約80,000コマのマイクロフィルムが作成され、さらにこれから紙焼き・製本された写真帳は485冊にも及ぶ。以降、東寺百合文書の閲覧は、原則としてこの写真帳によって行われることとなる。
   国宝指定後の2000年(平成12)からは、新たな文書保存箱の製作に着手することになる。国庫補助を受けながらの6箇年事業で、国産の桐材を使った簞笥形式の保存箱は92箱作られ、全ての文書が目録順そして形態別に収納されている。
   この間、展覧会の開催や東寺百合文書を題材にした各種講座の開講など、様々な形での資料公開などにも努めてきた。

3 東寺百合文書のデジタル化とウェブ公開

 東寺百合文書をめぐる当館での取り組みとして最近注目を集めたのが、全点のデジタル化とウェブ公開である。
   デジタル技術の急速な進展と普及が広がる中で、東寺百合文書全点の画像をデジタル化していくことは、原本保護に加えて積極的な利活用に資するためにも喫緊の課題であった。予算環境などが整い文書のデジタル化事業が開始されたのは2013年(平成25)1月のことである。大型スキャナーも含めて計4台のスキャナーを館内の作業スペースに設置し、事業の受託業者と共に慎重かつ効率的に作業を進めた結果、翌2014年2月には東寺百合文書18,704点全てのデジタル化が無事終了し、総数にして約80,000カットを超える高画質のデジタル画像が出来上がった。比較的短い間に事業を終えることができたのは、前述のマイクロフィルム化事業の成果に負うところが大きい。モノクロとはいえ全点のマイクロ写真を参照しながら作業を進められたことが、資料撮影の正確さと効率性を高めることに大きく寄与した。
   このとき当館では、デジタル化事業と並行して専用ウェブサイトの構築を進めており、こうして出来上がった東寺百合文書全点の資料画像を、「東寺百合文書WEB」として速やかにインターネット上に公開した。そして、この「東寺百合文書WEB」で公開した約80,000カットの資料画像を、高画質のまま自由に利用することができるとした当館の基本方針が、国内外から大きな反響を呼ぶことになったのである。資料画像を含めたウェブ上のコンテンツの利用について「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」という仕組みを導入し、原則として”CC BY”による画像等を提供するとしたことは、各方面から高い評価を得ることとなった。

「東寺百合文書WEB」のトップページ

「東寺百合文書WEB」のトップページ

 昨年10月10日に東寺百合文書の世界記憶遺産登録が決定した際、日本ユネスコ国内委員会(文部科学省)はユネスコ記憶遺産選考委員会委員長談話として、「東寺百合文書については、保存・管理体制が特に優れているとともに、全点のデジタル化が完了しウェブ上で公開されていること、−−−−ユネスコにおいても、これらの点が評価されたと考える」とのコメントを発表している。記憶遺産の目的には、「重要な記憶遺産の保存」や「記憶遺産の重要性への認識を高めること」とともに「記憶遺産になるべく多くの人がアクセスできるようにすること」が掲げられている。
   当館が東寺百合文書を受け入れてから、来年(2017年)で50年になる。デジタル化とウェブ公開は最近の取り組みとして特筆すべきかもしれないが、前述のように当館では受け入れ直後から様々な取り組みを行ってきた。当然のことながら、これらの積み重ねがデジタル化やウェブ公開につながっているのであり、長年にわたる諸事業の成果の一つとして世界記憶遺産登録が位置付けられる。そして、資料の保存や公開についての取り組みは、これからも続けていかなければならない永遠の課題でもある。

Ⅱ 新総合資料館

1 新総合資料館(仮称)の整備計画について

 京都府立総合資料館は、京都に関する歴史、文化、産業、生活等の諸資料を総合的に収集し、これを整理・保存して、閲覧に供し、又は展示することにより、府民の調査研究等一般に供することを目的として、1963年(昭和38)11月15日に開館した。以来、図書館・文書館・博物館の3つの機能を有する総合的な施設として運営してきた。
   1988年(昭和63)10月の京都文化博物館の開館を機に、美術工芸、歴史民俗等の現物資料の収集、保存及び展示については、同博物館を運営する京都文化財団への業務委託を行い、さらに2001年(平成13)5月には、京都府立図書館の新築開館に合わせて、同図書館への図書資料の一部移管を行うなど機能分担を図り、京都の歴史、文化、産業、生活等の諸資料を重点的に収集・保存する「京都に関する専門資料館」としての役割を担ってきた。
   こうした中で、施設の老朽化、総合資料館の機能や取り巻く社会環境の大きな変化、多様化する府民ニーズに的確に対応するため、2007年(平成19)12月に、総合資料館の果たすべき役割・機能の方向性などを盛り込んだ「総合資料館あり方検討プラン」が策定された。このプランを実現するため、2009年(平成21)1月には「総合資料館基本構想」が取りまとめられた。同年4月には「北山文化環境ゾーン整備推進委員会」が設置され、10月に総合資料館と府立大学との連携強化による新施設の整備の方向性等について検討報告がなされた。
   これらを踏まえ、2011年(平成23)には、新館の基本・実施設計についての公募型設計競技(コンペ)が実施され、翌年3月に基本設計、同年12月に実施設計が完成し、整備予算も計上され、2013年(平成25)7月に本体工事が着工の運びとなった。工事着工に先立ち、埋蔵文化財調査が行われ、平安時代における三面庇をもつ建物が配置されていることが確認され、建物跡の遺構(植物園北遺跡)の一部が敷地内に保存・展示されることになっている。
   新館は、鉄骨造地上4階、地下2階、延べ床面積約24,000㎡、総合資料館と府立大学の文学部・図書館を合築整備し、総合資料館閲覧室と府立大学附属図書館のワンフロアー化による府民提供、京都の風土・歴史・文化に関する研究を総合的に行い、府民をはじめ広く国内外にその成果・情報を発信する「国際京都学センター」の設置、国宝であり世界記憶遺産に登録された「東寺百合文書」や重要文化財「京都府行政文書」など総合資料館の所蔵する貴重な資料等を幅広く展示する展示室の設置、講堂(484席)、京都学ラウンジ、セミナー室、カフェ等広く府民が集い交流する場の設置等を通じて、京都の新しい学術・文化の拠点、府民交流の拠点となる施設として、2016年(平成28)の竣工を目指して整備が進められている。

2 「京の記憶アーカイブ」について

 当館では、国宝や世界記憶遺産、重文を含め、図書資料、古文書、行政文書、写真資料、近代文学資料、美術工芸資料、歴史民俗資料など約73万点に及ぶ資料を所蔵している。
   これまで、図書資料については、京都府立図書館との連携の観点から、「府立図書館情報ネットワークシステム」により管理、WEBサイトでの公開を行っていたが、新館の整備に向け、新たな統合データベースの構築に係る検討・協議を重ねてきた。
   2013年(平成25)、既存のデータベースを再構築し、全ての資料を最大限活用できる統合情報システムを構築すること、目録はもとより画像等のデータを早急に整備すること、図書館システムは総合資料館と府立大学附属図書館がワンフロアーに設置され、利用者のサービス向上と相互の連携強化が求められていることから、府立医科大学附属図書館を加えた3館統合による新たな「大学図書館系システム」に切り替えることなどの合意が図られた。
   2014年(平成26)度からは府立両大学附属図書館との図書システムを構築し、運用を開始するとともに、順次、古文書・行政文書・博物館系資料等の目録及び画像を管理するシステム及び全ての資料を統合して検索可能なシステムを構築し、2015年(平成27)11月4日から新データベース(アーカイブ)システム「京の記憶アーカイブ」として公開を開始した。
   これにより、図書資料に加え、新たに古文書、行政文書、写真資料、近代文学資料、博物館資料の目録を検索できるようになるとともに、約17万点のデジタル画像の閲覧が可能になった。また、資料をわかりやすく解説するコラムを定期的に掲載し、一層の活用を図ることとしている。

「京の記憶アーカイブ」のトップページ

「京の記憶アーカイブ」のトップページ

3 国立公文書館デジタルアーカイブの横断検索への参加

「京の記憶アーカイブ」の公開にともなって、国立公文書館から同館のウェブサイトの横断検索システムへの連携について打診があった。前述のごとく当館の記憶アーカイブには行政文書、古文書、博物館資料などが含まれるが、国立公文書館デジタルアーカイブの横断検索システムの性格上、行政文書に限定するのが有効であると判断し、行政文書のみを対象とした。国立公文書館と当館の双方による事務的手続き、現場での確認を経た上で、2015年(平成27)11月24日より横断検索に連携し、利用者の方々の利便性の向上に努めている。

4 むすびに

 新総合資料館(仮称)においては、研究部門として国際京都学センターを開設予定であり、センターにおける研究成果も含めて、国内外の利用者に広く情報発信するとともに、東寺百合文書をはじめとする所蔵資料の解説の充実や、デジタル画像の公開等を進め、だれでも、いつでも、どこからでも文化資源情報が利活用できるよう取り組んでいきたいと考えている。

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[1] Ⅰは小森浩一、Ⅱの1・2・4は四方寿和、Ⅱの3は大塚活美が執筆した。