ドイツ連邦公文書館視察報告

国立公文書館 統括公文書専門官室
公文書専門員 中山貴子

  2015年9月、第3回国際公文書館会議(ICA)年次会合の途次、当館出張者はドイツ連邦公文書館コブレンツ館を視察する機会を得た。コブレンツ館は、連邦公文書館の本館機能を担っている。連邦制国家であることを反映してか、連邦公文書館の在り方はユニークな様相を呈している。そこで本稿では、視察時の内容と併せ、ドイツ連邦公文書館について紹介することとしたい。

1. ドイツ連邦公文書館について

ドイツ連邦公文書館コブレンツ館の外観

ドイツ連邦公文書館コブレンツ館の外観

 ドイツ連邦公文書館コブレンツ館は、首都ベルリンから南西に約600キロ離れたラインラント=プファルツ州コブレンツにある。ライン川とモーゼル川が合流するこの河川交通の要衝に連邦公文書館が設置されたのは、1952年のことである。第2次世界大戦の敗戦と分割占領を経てボンが西ドイツの暫定首都に選定されたことを受けてのことであり、暫定的措置という位置づけであったようだ[1]。ボンの南東約80キロという立地と、大量の文書を収蔵することができる既存の施設があるという点が決め手になった[2]。しかし、かつてコブレンツ県庁舎として使われていたこの建物は、ライン川のほとりに立地していたため、その後洪水が発生した際には、職員総出で所蔵資料を高い階に移動させて被害を免れることもあったという[3]。これを機に、資料にとってより安全な場所への移転が検討されることとなった。街の中心部に近いヴェラースホフ地区の近代的な高層ビルを経て、現在所在するカートハウゼ地区の高台に独自の建物を建設し、移転したのは1986年のことである[4]。この時、他所への移転も検討されたとのことだが、市の働きかけにより、コブレンツに留まることになったという[5]。1990年にドイツが再統一された際には、旧東ドイツが設置した公文書館が統合され、連邦公文書館は統一ドイツの中央公文書館となった。
   連邦公文書館は、連邦首相府文化・メディア担当大臣の下に設置された連邦行政官庁である。その任務は、連邦公文書館法により、連邦の記録資料を永久に保存し、利用に供し、学術的に活用されるようにすることと規定されている(1条)[6]。より具体的には、下記の通りである。
   ・連邦の機関(立法及びや司法を含む)において公的任務の遂行のために必要でなくなった記録を受け入れる(2条1項)
   ・連邦の機関に対し、その記録管理について助言を行う(2条10項)
   ・移管元機関と協議の上、ドイツ史の研究、市民の正当な権利の保護、立法・行政・司法への情報提供のために、文書の永久保存価値について決定する(3条)
   なお、連邦制を採るドイツにおいて、公文書館及び公文書管理に関する立法権限は原則として州に帰属するものとされているため、連邦公文書館法は連邦の権限事項にのみ適用され、各州は自らの公文書管理法制を規定しなければならない[7]。

2. ドイツ連邦公文書館の組織体制

 現在、連邦公文書館は8つの内部部局と1つの附属財団で構成されている。同館の設置とその後の統合経緯を反映し、主要なものだけで全国に9つの施設があり、資料は分散的に管理されている。

ドイツ連邦公文書館組織図 Organisationsplan des Bundesarchivs (Stand: 04.01.2016)より作成

ドイツ連邦公文書館組織図 Organisationsplan des Bundesarchivs (Stand: 04.01.2016)より作成 [図をクリック]


a. 中央管理業務局(Abteilung Zentrale Verwaltungsangelegenheiten、Z局)
   人事、機構、技術、予算等、連邦公文書館各局が業務を遂行する上で必要となる事務を扱う。本部はコブレンツだが、ベルリンにも支所を置いている。

b. 業務局(Abteilungen Grundsatz/Wissenschaft、GW局)
   記録資料に係る技術方針の策定や、学術研究業務を所掌。連邦公文書館の戦略的計画の立案や、広報、教育普及、アウトリーチ、アーカイブズ関係機関等との連携、国際交流、公文書管理法制等の全組織的な事柄について調整を行う。また、連邦政府の閣議議事録や研究紀要等を出版し、本館の展示や、ラシュタットにあるドイツ史における自由独立運動記念館[8]を所掌する。局本部はコブレンツだが、GW1係及びGW2係はベルリンにも分室を置いている。

c. 中央技術サービス局(Abteilungen Archivtechnik、AT局)
   2015年3月、業務局の技術部門が独立し、局に昇格したもの。所掌事務は、保存修復(伝統的修復及びデジタル修復)、記録資料のデジタル化に係る企画の調整及び実施、電子出版物の移管(電子中間書庫業務を含む)並びに映画資料の修復保存。ベルリンとコブレンツに執務スペースがある。

d. ドイツ連邦共和国局(Abteilung Bundesrepublik Deutschland、B局)
   連合軍軍政期(1945~1949年)及び1949年以降のドイツ連邦共和国当局の記録を所掌し、これらの受入、評価選別、整理・保存、利用提供を行う。移管元は、連邦の憲法機関、連邦裁判所、連邦大統領府や首相府を始めとする連邦行政機関と三権に及ぶ[9]。本部はコブレンツだが、ベルリンにも支所を置いて在ベルリンの連邦官庁に対して公文書管理に係る支援を提供している[10]。ザンクト・アウグスティン・ハンゲラー(ボン郊外)及びホッペガルテン(ベルリン郊外)にある中間書庫、バイロイトの戦時被害負担調整記録センター[11]、ルートヴィヒスブルクのナチ犯罪糾明のための司法行政本部[12]といった外部施設を擁する。

e. ドイツ帝国局(Abteilung Deutsches Reich、R局)
   東西ドイツの分断に伴う分散を経て、再び一所にまとめられたドイツ帝国期(1867/71~1945年)の記録を管理する。ベルリン文書センターから1994年に移管された、ナチスの党員名簿や親衛隊及び突撃隊の人事ファイル等の記録、帝国公文書館フランクフルト支部が所蔵していた神聖ローマ帝国の帝国最高法院(1495~1806年)、ドイツ連邦(1815~1866年)期のフランクフルト国会(1848~1849年)の記録といった、ドイツ帝国期以前のものも含まれる。また、帝国の国家機関によるものだけではなく、ドイツ植民協会(1887~1936年)や全ドイツ連盟(1891~1939年)、ドイツ帝国大学連盟(1920~1935年)、ドイツ国家人民党(1918~1933年)、ドイツ・ゲマインデ連絡協議会(1933~1945年)といった機関・団体の記録も収蔵されている。

f. ドイツ民主共和国局(Abteilung Deutsche Demokratische Republik、DDR局)
   ドイツ民主共和国(東ドイツ)の中央国家機構と、その前身であるソ連占領地域(SBZ)に設置された中央局に係る記録を管理する。人民議会、国家評議会、閣僚評議会等の国の最高機関や各省庁の記録(書架延長42km分)がベルリン・リヒターフェルデ館で利用に供されている。また、閉鎖された東ドイツ当局のデータセンターに保管されていた電子文書は、現在コブレンツで管理されており、それらには国家評議会、閣僚評議会、国家中央統計局、内務省、外務省、内外貿易省、公教育省、国境警備隊等のデータベースが含まれる。なお、ドイツ民主共和国の行政文書のうち、外交文書は外務省政治文書館[13](ベルリン)に、国家保安省(秘密警察・諜報機関、略称シュタージ)が作成・取得した記録はシュタージ記録庁[14](ベルリン等)に、国家人民軍及び国境警備隊に係る記録は後述する軍事記録局(フライブルク)にそれぞれ保管されている。

g. 軍事記録局(Abteilung Militärarchiv、MA局)
   連邦国防省、連邦軍、及び国防行政に係る記録・文書を所掌。本部をフライブルク・イム・ブライスガウにおき、国防省や連邦軍における文書管理について助言を提供するとともに、軍関係の記録センターとして機能している。
   プロイセン陸軍、ドイツ帝国海軍、北ドイツ連邦海軍、ヴァイマール共和政期の帝国国防軍、ドイツ義勇軍、植民地防衛隊、ナチス・ドイツの国防軍や武装親衛隊、ドイツ民主共和国の国家人民軍や国境警備隊等、ドイツの様々な軍事組織が作成した1867年以降の記録や、個人や軍人協会等に由来する私文書が含まれる。

h. 映画資料局(Abteilung Filmarchiv、FA局)
   1950年代以降のドイツのニュース映画、ドキュメンタリー映画、フィーチャー映画の収集・修復・保存を所掌し、本部はホッペガルテンにある。ドイツには映画の法定納入制度があり、連邦行政機関及びその前身組織が制作した作品については連邦公文書館法で、ドイツ映画賞及びドイツ短編映画賞の受賞作品や助成金の交付を受けて制作された作品については映画助成法で、それぞれ連邦公文書館に納入されることとなっている。ドイツ連邦映画委員会からの出資を受けた作品もまた同様である。また、連邦諸州による助成の取組である「若きドイツ映画評議会」では、自主協定に基づき、子ども向け作品及び若手制作者による作品の納入先として連邦公文書館を選ぶことができるとしている。上記以外のドイツ製映画について、連邦公文書館では自発的な納入を呼びかけている。
   プログラム、写真、ポスター、脚本等の映画史関係資料も収集対象となっており、これらは映画の検閲制度に係る一大資料群を形成している。現在約80,000本のニトロセルロース製フィルムを保管しており、これらの複製物の作成もまた主要な業務となっている。

i. ドイツ民主共和国の政党及び大衆組織の文書財団(Stiftung Archiv der Parteien und Massenorganisationen der DDR im Bundesarchiv、SAPMO)
   ドイツ民主共和国で支配的役割を果たした政党や大衆組織によって作成・取得された記録を所掌する。そのほとんどは1990年まで機密扱いされていたもので、ドイツ社会主義統一党の政治局及び中央委員会やドイツ共産党の他、自由ドイツ労働組合同盟(中央労働組合組織)、産業別労働組合、東ドイツ文化連盟、自由ドイツ青年同盟、エルンスト・テールマン少年団、ドイツ・ソビエト友好協会等の大衆組織の記録が含まれる。なお、上記組織の地域支部が作成した記録は各州公文書館が所蔵しているが、連邦公文書館のウェブサイトで横断検索することができる[15]。
   財団では、ドイツ民主共和国や1945年以前のドイツに由来する資料、旧社会主義国家の歴史、国際的な労働運動、19世紀半ば以降の政治団体等に関する出版物の収集を続けており、上記組織の公報や機関紙、関連する学術出版物等を含む資料約170万点は、ベルリン・リヒターフェルデ館で利用に供されている。

3. ドイツ連邦公文書館コブレンツ館の視察

 ドイツ連邦公文書館の本館であるコブレンツ館は、34,600㎡という広大な敷地に、5年の工期を経て1986年に竣工した、建築面積8,600㎡、地上6階、地下2階建ての現代的なビルである。

書庫の様子

書庫の様子

自然空調を支える換気口

自然空調を支える換気口


a. 書庫
   コブレンツには八角柱形をした書庫塔が3つある。それぞれ5階分、延べ床面積15,000㎡が計30の区画に区切られ、所蔵資料の収容に充てられている。コブレンツ館の収容能力は書架延長にして約100kmであり、現在のところその60%強が埋まっているとのことである。例年約6km分の記録が中間書庫に移送され、そこで評価選別を行い、永久保存することとされた約1km分の記録をコブレンツで受け入れている。評価選別の際、連邦公文書館では廃棄数値目標を75~80%に設定しているとのことであった。
   コブレンツ館の書庫は、吸湿性の高い厚いレンガの二重壁で囲まれている。壁の間にある空気層が急激な温度変化を和らげるため、自然空調のみでも書庫内の環境は室温16~18℃、湿度50%に保たれるという。なお、消火装置として、天井にはスプリンクラーが設置されている。

b. 閲覧室
   コブレンツ館の閲覧室は事務棟1階の中心部にあり、40席ほど設置されている。ガラス越しに中庭を臨むことができるため、こぢんまりとした空間ながら開放的な仕様である。壁沿いには、防音ガラス材の壁や扉で仕切られた小部屋が並んでおり、内部の音が漏れないようにしつつ、防犯上の見通しを確保している。そのため、センシティブ情報を含んだ資料の閲覧には、この小部屋が使われている。その際、閲覧者からは資料をデジタル機器で撮影してデジタル化しない旨の念書を取っているとのことである。個人情報は本人が亡くなって30年経てば公開可能としているが、著名人の場合は公開を前倒しすることもあるという。

眺望も楽しめる展示スペース

眺望も楽しめる展示スペース

c. 展示スペース
   コブレンツ館では、1階ホールと中2階で展示を行っており、中2階は自然光をふんだんに取り入れた窓際の展示スペースと、照度をやや落とした小部屋に分かれている。1階は常設展、2階は企画展に充てているようであった。視察時は、2015年が生誕200周年にあたるプロイセンの政治家ビスマルクについて、オットー・フォン・ビスマルク財団[16]の資料を用いた巡回展示「Otto von Bismarck: Mensch – Macht – Mythos(オットー・フォン・ビスマルク:人間、権力、神話)」が行われていた。
   連邦公文書館の規模からすると、展示スペースが思いのほか小さいとの印象を受けたが、事前に話を伺ったミヒャエル・ホールマン(Michael Hollmann)連邦公文書館長によれば、多くの文化機関を近くに擁するコブレンツ館とベルリン館では、大規模な展示をあまり行っていないそうである。コブレンツ館の場合は、ドイツの代表的な博物館であるドイツ連邦共和国歴史博物館[17](Haus der Geschichte der Bundesrepublik Deutschland)がボンにあるため、コブレンツ館の企画を持ちかけ、歴史博物館の施設で展示しているということであった。

4. おわりに

 ドイツ連邦公文書館を視察して印象的だったのは、中央公文書館に求められる諸機能を複数館で分かち合う、その組織体制であった。本館機能を例に取れば、正副館長の他、Z局、GW局、AT局、B局の各局長がコブレンツとベルリン双方に執務室を構えていることに見られるように、ベルリン館も一部本館機能を担っていると言えるだろう。物理的な距離は、テレビ電話等のIT技術によって克服しているとのことであった。既存の複数のアーカイブズを連邦公文書館の名の下に再編成した組織であるため、一館で全機能を満たすことはせず、各館を特徴づける特定の機能を強化するようにしているとのことで、このようなドイツ連邦公文書館の運営方針は、様々な制約の中で各種業務を行うことを求められるアーカイブズ関係者には、心強い例となるのではないだろうか。
   最後に、今回の視察では、ホールマン館長とトビアス・ヘルマン(Tobias Herrmann)業務局GW1係長代理(国際交流業務担当)に大変お世話になった。この場を借りて御礼を申し述べたい。

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[1] Koblenz. http://www.bundesarchiv.de/bundesarchiv/dienstorte/koblenz/index.html.en (アクセス:2016年2月4日)
[2] トビアス・ヘルマン業務局GW1係長代理にご教示いただいた。
[3]同上。
[4] The history of the Federal Archives. http://www.bundesarchiv.de/bundesarchiv/geschichte/index.html.en(アクセス:2016年2月4日)
[5] 前出のヘルマン博士のご教示による。
[6] 正式名称は「1988年1月6日連邦のアーカイブズ文書の利用と保存に関する法律」。正文はドイツ語だが、英語の参考訳は下記から入手可能である。Federal Archives Act. http://www.bundesarchiv.de/bundesarchiv/rechtsgrundlagen/bundesarchivgesetz/index.html.en(アクセス:2016年1月13日)
[7]上代庸平「ドイツ連邦州における公文書館法の特色」『社会科学研究』第31巻第2号(平成23年)
[8] Erinnerungsstätte für die Freiheitsbewegungen in der deutschen Geschichte. https://www.bundesarchiv.de/erinnerungsstaette/(アクセス:2016年2月4日)
[9]ドイツの公文書管理制度については以下の論考が詳しい。木藤茂「ドイツにおける公文書の管理と保存」(総合研究開発機構=高橋滋共編『政策提言 公文書管理の法整備に向けて』〈商事法務、平成19年〉所収)
[10]ドイツでは国家統治機関が一都市に集まっておらず、首都機能が複数の都市に分散している。ドイツ再統一を受けて1999年に連邦政府省庁がベルリンへ移転した際も、食糧農林省、国防省、保健省等、半数近い省庁がボンに残され、国の政治的中枢機能を二都市で分け合うこととなった。なお、司法権については旧西ドイツ時代から他の二権とは別の都市に設置され、現在に至っている。詳しくは以下の論考参照。山口広文「首都の特質と首都機能再配置の諸形態」『レファレンス』53巻4号(平成15年)。
[11] Bestände des Lastenausgleichsarchivs in Bayreuth https://www.bundesarchiv.de/benutzung/zeitbezug/nationalsozialismus/02655/index.html.de(アクセス:2016年2月4日)
[12] Unterlagen der Zentralen Stelle der Landesjustizverwaltungen zur Aufklärung nationalsozialistischer Verbrechen. https://www.bundesarchiv.de/benutzung/zeitbezug/nationalsozialismus/01587/index.html.de(アクセス:2016年2月4日)
[13] Auswärtiges Amt Politisches Archiv. http://www.archiv.diplo.de/(アクセス:2016年1月13日)
[14]シュタージ記録庁の正式名称は「Der Bundesbeauftragten für die Unterlagen des Staatssicherheitsdienstes der ehemaligen Deutschen Demokratischen Republik (BStU) (旧ドイツ民主共和国国家保安官庁の記録弁務官)」だが、BStUの公式ウェブサイト(英語版)にStasi Records Agency (BStU)と記載されていることから、「シュタージ記録庁」と表記した。http://www.bstu.bund.de/EN/Home/home_node.html(アクセス:2016年1月13日)
[15] Archivgut der Sozialistischen Einheitspartei Deutschlands (SED) und des Freien Deutschen Gewerkschaftsbundes (FDGB). http://www.bundesarchiv.de/sed-fdgb-netzwerk/(アクセス:2016年1月13日)
[16] Otto-von-Bismarck-Stiftung. http://www.bismarck-stiftung.de/index.php/startseite(アクセス:2016年2月4日)
[17] Stiftung Haus der Geschichte der Bundesrepublik Deutschland. https://www.hdg.de/bonn/(アクセス:2016年2月4日)