今月のアーカイブ |『思忠志集』(しちゅうししゅう)その3
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今月のアーカイブ『思忠志集』(しちゅうししゅう)その3

今月は、旗本の天野長重(あまの・ながしげ 一六二一―一七〇五)が残した教訓集『思忠志集』の第三回目。『思忠志集』は文字ばかりなので、「うんざり」という読者もいらっしゃるかもしれませんが、とりあえず四回目の予定はないので、ご辛抱ください。今回のテーマは、お金。具体的にはお金を殖やす話なので、辛抱どころか身を乗り出して耳を傾ける方もいるのでは…。といっても天野長重が殖やそうとしたのは個人の資産ではりません。それは彼が頭(かしら)を務める先手鉄炮組(さきててっぽうぐみ)に幕府から支給された「救金」(お救い金)でした。長重は、延宝四年(一六七六)五月に先手鉄炮組の頭となり、元禄二年(一六八九)八月まで在職。与力十人と同心五十人を従えて、江戸城諸門の警備を務めました(もちろん戦時には幕府軍の先陣を務めますが、幸か不幸か、在職中にその機会は訪れません)。頭の仕事はそれだけではありません。配下の与力・同心の仕事ぶりを監督するとともに、職務に支障をきたさぬよう、それぞれの家計に目を配り、経済的に困窮する与力・同心のために幕府から支給された「救金」を公正に配分し、効率的に運用するのも頭の重要な仕事でした。 さて、長重はどのように「救金」を運用したでしょうか。その詳細が天和二年(一六八二)二月朔日に仙石右近と仙石丹波守にあてた手紙に綴られています。手紙は「仙石氏就金之非道同姓江送状」と題して『思忠志集』に記録されました。「仙石氏金の非道につき同姓え送る状」と読めます。「仙石氏」とは誰をさし、その人物と長重との間にどのような金銭トラブルがあったのか。以下、手紙の内容をかいつまんでご紹介しましょう。

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