今月のアーカイブ |『板垣退助暗殺未遂事件〜その後〜』
閉じる

今月のアーカイブ『板垣退助暗殺未遂事件〜その後〜』

明治一五年(一八八二)四月六日午後六時頃、自由党総理の板垣退助が、岐阜県の神道中教院(現・岐阜公園)で演説を終え会場を
出たところで愛知県小学校教員相原尚褧(あいはらなおぶみ)に襲われ、胸や手などに傷を負うという事件が発生しました。この事件の際、板垣が発したとされる「板垣死すとも自由は死せず」という言葉がよく知られています。事件の概要については、平成二五年春の特別展「近代国家日本の登場―公文書にみる明治―」や、『知っていましたか?近代日本のこんな歴史 板垣退助暗殺未遂事件「板垣死すとも自由は死せず」〜』などでご紹介しました。この他にも事件の周辺や前後の状況について、公文書からたどることが出来ます。

国立公文書館トップページへ

Copyright©2007 NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN. All Rights Reserved.