展示会を見に行こう 国立公文書館の所蔵資料が見られる展示会を紹介します。
翔べ 日本の翼 〜 航空発達史 〜

 日本に飛行機が導入されたのは明治時代末でした。当時は、軍用機として開発が進む一方、民間でも飛行機の活用の道が探られました。大正時代から昭和戦前期にかけて、飛行機は飛躍的に進歩し、国内では各種制度の整備に加え、民間航空輸送の開始や飛行場の整備などの動きが現れました。 
 終戦後、占領軍によって航空機の研究開発、生産、運行などが禁止されましたが、講和、独立を経て、禁止が解除されると、民間航空の再開、戦後初の国産旅客機であるYS-11の開発など、日本の航空は復興の道を歩みます。 
 本展では、航空に関する制度や人物に関する資料を展示し、日本の航空が辿った歴史をご紹介します。

英国陸軍飛行競技に関する件/航空機工業振興法の一部を改正する法律

(左)「英国陸軍飛行競技に関する件」。大正元年(1912)、イギリスで開催された飛行機の性能、操縦技術を競う飛行競技会について、日本海軍の駐在武官が海軍省に宛てて作成した報告書。添付された写真には、競技会に参加した飛行機が写っている。 (右)「航空機工業振興法の一部を改正する法律」。昭和33年(1958)、航空機の国産化や、国内航空機産業の振興等を目的とした航空機工業振興法が公布された。同法は翌年に改正され、日本航空機製造株式会社が設立される。戦後初の国産旅客機であるYS -11は、同社で生産された。

ふしぎなふしぎな百人一首

夏休みなのに、百人一首!?

 小倉百人一首といえば、お正月のかるた大会をイメージする方も多いのでは? 
 しかし実はお正月に小倉百人一首のかるたが行われるようになるのは、江戸時代後期以降のこと。それまで小倉百人一首は様々な季節に様々な形で人々に愛されてきました。本展では、その "ふしぎな魅力"をご紹介します!


小倉百人一首とは?
ふしぎ①
金泥で装飾された百人一首!?

小倉山庄色紙倭歌

「小倉山庄色紙倭歌」。狂歌作者として知られる信海(1626~1688)の自筆と考えられる小倉百人一首の写本。金泥の下絵のある料紙に書写した豪華な装丁の巻子本。

ふしぎ②
漢字だらけの百人一首!?

小倉百人一首

「真字百人一首」。万葉仮名を用いて表記された小倉百人一首。元禄8年(1695)に刊行。


小倉百人一首には、かるた以外にも "ふしぎな魅力" がたくさん! この夏は親子でその魅力を再発見してみませんか?