42. 上野増上寺駈付かけつけ町名并纏挑灯ならびにまといちょうちん雛形ひながた

[請求番号 184-0139]

「上野増上寺」とは、江戸幕府の歴代将軍の墓があった上野寛永寺(東叡山)と芝増上寺(三縁山)のこと(家綱・綱吉・吉宗・家治・家斉・家定・慶喜が寛永寺。家康と家光が日光で、他の6人が増上寺に埋葬)。両山の防火・消火には万全の注意が払われ、近辺で火が出た際は、町火消も駈けつけ消火活動に当たることになっていました。展示資料は、上野寛永寺に駆けつける「わ組」「れ組」、芝増上寺を受け持つ「さ組」「み組」それぞれの纏・提灯・半纏はんてんの彩色図です。天保2年(1831)、寺社奉行脇坂安董わきさかやすただの問合せに対して、町奉行榊原忠之さかきばらただゆきが提出した雛形を模写したものです。全1冊。

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