43. 天保巡見じゅんけん日記

[請求番号 特096-0005]

天保9年(1838)3月18日、関東の幕府領の村々を視察するため江戸を発った芳賀市三郎はがいちさぶろうら幕府巡見使一行は、4月18日、上野国荻原村(現在の群馬県みどり市)で、近隣の塩沢新田(同)から村の窮状を述べた訴状を受け取りました。5月2日に江戸に戻った市三郎が巡見中の見聞を色鮮やかな挿絵を添えてまとめた『天保巡見日記』に、訴状の内容が記録されています。それによれば、塩沢新田は天保7年以来の飢饉で家も人も激減し、残ったのは家2軒と村民6人だけ。そのうえ丹精こめて植え付けた杉の苗2000本も野火で焼け、もはや気力も尽き果てたというのです。市三郎は「是非なき次第可憐あわれむべき有様なり」と同情を惜しみませんが、大飢饉によって荒廃し廃村に追い込まれた村は他にもすくなくなかったと思われます。『天保巡見日記』の原本は宮内庁書陵部蔵。展示資料は明治10年(1877)に原本を模写したもので、全4冊。

※写真をクリックすると拡大画像が表示されます。

  • 写真1
  • 写真2
  • 写真3
  • 写真4
  • 写真5