6.明治初期の近隣外交
明治4年(1871)、日本と清国は日清修好条規に調印しました。条約では相互に外交使節と領事を駐在させ、制限的な領事裁判権を認めることなどを定めました。その意味では日本が外国と結んだ最初の対等条約でした。この条約の批准書交換のため、明治6年、副島種臣(そえじまたねおみ)外務卿が清国に渡りました。副島は列国公使とともに清国皇帝に謁見する際、外務卿として先順を主張し、列国公使に先んじて単独で謁見し国書を捧呈しました。
明治8年には、国交再開をめぐる日本軍の示威行動に端を発し、日本と朝鮮の間で武力衝突が起こりました(江華島事件)。これを機に、翌明治9年、日朝修好条規が締結され、朝鮮は開国しました。この条約では、朝鮮を独立国として承認し、相互平等を約しました。これは清国と対等の条約を結んだ日本と朝鮮が平等という点で、朝鮮に対する清国の宗主権を排する意味がありました。
他方、明治8年、日本はロシアとの間で樺太千島交換条約を結びました。安政元年(1855)に結ばれた日魯通好条約において、樺太は日露両国民の混住の地とされていましたが、本条約締結によって、樺太をロシア領、千島列島を日本領と画定しました。