Ⅳ 明治後期の学び

国定教科書

 

国定教科書

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明治19年(1886)、小学校の教科書に検定制度が設けられました。この時に、教科書の採択を各府県で行うことや、一度採用された教科書は4年間変えないこと、教科書を最低学年から使用することなどが決められました。

こうした検定制度では、徐々に教科書出版会社と府県の教科書審査委員との間で癒着が生まれるようになり、ついに明治35年(1902)贈収賄事件が発生してしまいました。いわゆる教科書疑獄事件です。これにより、文部省官吏や府県知事、師範学校校長、教諭、出版会社など教科書採択に関与した152名が検挙され、100名が一審で有罪となりました。この事件を契機として、政府は明治36年4月に小学校令を一部改正して、国が教科書を決める国定教科書制度を実施することとしました。

また、国定教科書制度は、昭和20年(1945)まで続けられました。その間に教育方針の変化に伴って5期に分けられることが出来ます。資料は、日露戦争後に編集された第2期(明治43~大正6年)の国定教科書です。小学校の義務教育が4年から6年に延長されたことに伴い、新たに教科書が編集されました。

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