Ⅳ 明治後期の学び

女子教育

請求番号:昭47文部01461100

津田塾専門学校(東京)

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女子英学塾は、生徒の増加などに伴いそれまでの麹町五番町(市ヶ谷駅付近)から小平へ校舎を移転することとなりました。大正11年(1922)には移転地の登記を済ませていましたが、関東大震災で校舎が焼失したので、移転までは仮校舎で授業を行いました。その後、遅れていた新校地建設計画は昭和2年にはじまり、昭和6年に校舎と寮が竣功しました。

資料は、昭和5年2月に文部省へ提出された校舎の建設計画図面です。現在でも「ハーツホン・ホール」という名で使われています。設計者は早稲田大学大隈記念講堂や日比谷公会堂などを設計した佐藤功一でした。

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