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11.未整理のまま残った公文書 ―諸雑公文書

昭和46年(1971)に国立公文書館が設置された際、内閣・総理府から未整理のまま移管された資料群がありました。受入れ後、当館において「諸雑公文書」という通称が付されたこの資料群には、移管台帳や簿冊目録がなく、開館から約20年の間、目録の整理・公開が行われないままでした。平成4年(1992)に一部が公開となり、平成14年にはすべての文書が目録化されました。

当該資料群には、明治期〜昭和30年代の文書が含まれ、その中身も、岩倉具視に関する文書や個人宛の文書、メモ類、決裁の過程で脱落したものなど様々です。本来の保存プロセスから何らかの形で外れた文書や、書記官の手持ち資料が一括してこの「諸雑公文書」に含まれ、そのまま当館に引き継がれたと考えられます。

展示資料の勅令案「地方社会教育及学校衛生職員制」は、『未済書類(閣議関係)(四)』と題された簿冊の中に綴られています。大正9年(1920)9月9日に法制局から上申された閣議書で、各大臣の花押が確認できることから、閣議決定されたことがわかります。しかしながら、文書の冒頭に「本件ハ閣議済其儘留置ノモノ内閣更迭ニ付十一年八月十四日返却」と書かれた付箋が残されており、閣議後、天皇の裁可を経ることなく、本勅令案は「留置」されたと推測されます。

なお、本未済勅令では奏任官待遇150人以内、判任官待遇650人以内の社会教育主事を設置できるとされていましたが、この人員を奏任官待遇60人以内、判任官待遇110人以内と大幅に削減したうえで、大正14年12月に「地方社会教育職員制」が成立しました(勅令第324号)。これに続く戦後の社会教育法は、前項(体系的に残された公文書)で紹介した通りです。

関連資料「件名録」の記録から

内閣・総理府から移管された件名簿・件名録からは、公文書の動きをたどることができます。

先の勅令案について、大正9年9月9日に法制局が上申したことが、この件名録の記録からも読み取れます。また、内閣更迭により大正11年8月14日に返却された旨、朱書きで記載されています。

件名録 大正9年 甲第42号(写真点数:2点)
留置・返却された閣議書(地方社会教育及学校衛生職員制)

※写真をクリックすると拡大画像が表示されます

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