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二条城会見

 慶長16年(1611)、この年、後陽成天皇の譲位と政仁(ことひと)親王(後水尾天皇)即位の儀式が4月12日に執り行われる予定でした。家康はこれに先立ち、19歳になった秀頼を二条城へ呼び出し、会見を要請しました。いわゆる二条城会見です。
 3月28日、秀頼は辰の刻(午前8時頃)に二条城に到着しました。家康は庭上まで出向き、秀頼が「慇懃」(いんぎん)に礼をします。その後、家康から「互いの御礼あるべし」と、対等の礼をしようと提案しますが、秀頼はこれを堅く「斟酌」(しんしゃく、遠慮)し、秀頼が家康に礼をする形となりました。饗応の場では、高台院(秀吉正室寧々)も相伴しました。この後、秀頼は豊国社を参詣し、大坂城へ戻りました。大坂や京都では会見が無事に終わった事を悦んだと伝えられています。

当代記(とうだいき) [請求番号: 150-0049]

 戦国から江戸時代初頭の国内の政治や経済等の動きを詳細に記した書

明良洪範(めいりょうこうはん) [請求番号: 170-0039]

 徳川氏と関連のある武将、家臣の事績を中心に、武士の心構えとなる話などを収録

片桐家秘記(かたぎりけひき) [請求番号: 218-0038]

 片桐貞昌(石州)が記したと伝わる片桐家の秘書