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岩崎灌園、名は常正。通称は源三(灌園は号)。文化6年(1809)11月に24歳で徒見習となり、同11年2月、屋代弘賢の編集書籍手伝を命じられ、『古今要覧稿』の編集助手に。文政5年(1822)4月、父の後任として徒となり、同7年12月、「日光山草木之図」を献上して白銀3枚の褒美を下される。天保5年(1834)2月に表火之番に転じ、10月、病気のため小普請入り。同9年7月、53歳で隠居。同13年(1842)正月、没。57歳。
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