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45. 易地聘使録外国(海外情報・外交)えきちへいしろく

播磨国龍野藩主脇坂安董(わきさかやすただ 1768―1841)が、文化8年(1811)に対馬で朝鮮使節を応接した際の記録から重要なものを抜粋し、分類編集した書。文化11年(1814)4月の安董の序があります。

朝鮮使節(朝鮮通信使、朝鮮信使、朝鮮来聘使とも)は江戸時代に計12回来日しましたが、文化8年の使節はその最後で、日朝両国の財政悪化を理由に使節の応接は江戸ではなく対馬で行われました。書名の「易地」はこのことを示しています。

脇坂安董は、天明4年(1784)に龍野藩(5万1,000石)の藩主となり、寺社奉行を経て天保8年(1837)に老中に昇進。老中在職中の同12年(1841)に74歳で没しました。安董は、寺社奉行時代に但馬国出石藩の御家騒動(仙石騒動)を裁いたことでも知られています。

展示資料は、「竜野文庫」の蔵書印がある浄書本で、安董が手もとに置いていたものと思われます。明治12年(1879)内務省購入。全30冊。

(請求番号:185-0292)

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