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39. 聿修館遺稿文学(詩歌)いっしゅうかんいこう

伊予国松山藩主松平(久松)定通(まつだいらさだみち 1804―35)の漢詩集。15歳の年から天保6年(1835)に32歳で亡くなるまでに詠まれた漢詩の中から、林述斎が600余の作品を選び、定通の養子勝善(かつよし 実父は鹿児島藩主島津斉宣)が編集刊行しました。天保11年(1840)刊。林述斎序。

松平定通は、藩主であった兄定則が17歳で早世したのち、文化6年(1809)に6歳で藩主(15万石)になりました。定通はその後、重臣に補佐されて藩政改革を推進。歳出の削減、殖産興業、文武奨励等に積極的に取り組み、松山藩中興の名君と讃えられました。

展示資料は、昌平坂学問所旧蔵。全4冊。

(請求番号:206-0382)

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